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マゼランの世界周航(1519~22 ”憩い苦しく世界一周”)
航海者マゼラン(マガリャンイス)の大偉業。マゼランはポルトガル人で、軍務についてインドなどの遠征に参加していたが、モロッコ遠征のとき(1513)、モロッコ人との違法取引をポルトガル国王に疑われ、同国を離れてスペイン宮廷に仕えた(1517)。時の皇帝カルロス1世(神聖ローマ皇帝では"カール5世"と呼ばれたハプスブルク家の王様である)の承認のもと、香辛料の特産地モルッカ諸島(東南アジア)を目指して5隻の船と280名の船員からなる船団を率いて出発、西航(1519)。南米大陸東岸を南下、水路を発見してマゼラン海峡と命名した(1520)。通行困難な海峡を7日で通過した。またその西の大洋を「静かな海」=「太平洋」と命名し、同洋を横断した。しかし、マゼランに対する船員の反抗意識(スペイン人デル=カーノ)や、食料の欠乏などに悩まされ、苦悩の周航が続いた。グアム島を経てフィリピン諸島に到達し(1521)、地球を半周したことを現地人の言語で確認した。マゼランはフィリピン諸島のセブ島でラプラプ率いる先住民と争いマクタン島で戦死した。彼亡き後はデル=カーノ率いる18人がわずか1隻の船で西航し、モルッカ諸島の経線を越え、アフリカの喜望峰を経て、セビリャに帰港(1522)、史上最初の世界周航はなしとげられ、地球が球体であることが初めて立証された。
ポルトガル提督カブラルがブラジルを領土化したのは1500年。”ブラブラ”つながりで知っておこう。
カブラルはインド目的で航海したが、暴風のためにブラジルに漂着し、領土宣言した。
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