7月8日は何に陽(ひ)が当たったか?
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)は、江戸時代、鎖国の日本にアメリカ海軍の東インド艦隊の率いる艦船が、浦賀(相模。神奈川県横須賀市)に来航した日です。世に言う、”黒船来航“です。
日本開国の任務を与えられた東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、蒸気フリゲート艦サスケハナ号(wikipediaより)を筆頭に、ミシシッピ号(同より)、プリマス号、サラトガ号の4隻に、およそ70門の大砲を引っさげて浦賀沖に来航しました。老中首座の阿部正弘(1819-57)の許しを得て上陸したのは久里浜(横須賀東部)で、接見にあたった浦賀奉行らに対し、ペリーらは開国を要求し、大統領親書を渡しました。7月17日に艦隊は退去しました。
その10日後にあたる27日(嘉永6年6月22日)に将軍徳川家慶(とくがわいえよし。在職1837-53)が死去、老中阿部正弘は、アメリカとの対戦に備え、江戸湾での兵力増強をはかり、伊豆の韮山代官(にらやま)だった江川英龍(えがわ ひでたつ。”江川太郎左衛門“で有名。1801-55)を勘定吟味役(勘定奉行を助けて幕府財政収支を監査)につかせ、西洋式の海上砲台の建設を命じました。品川台場(現在の東京都港区)はいわゆる”お台場“として有名です。また海戦に備えて、浦賀造船所にて西洋式帆船”鳳凰丸(ほうおうまる)”の建造を始めました。
1854年2月13日(嘉永7年1月16日)にペリーは蒸気フリゲート艦ポーハタン号に乗船して計6隻で来航しました。幕府は開国要求を受け入れて、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日米和親条約(神奈川条約)を締結、下田と箱館(函館)が開港し、鎖国体制に終止符が打たれたのです。
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