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19世紀半ば、資本主義諸国では、産業資本の独占化を目指す巨大企業が次々と生まれ、やがて独占資本主義・寡占資本主義に基づいた市場支配を形成していった。こうした企業の集中・独占から、企業連合(カルテル)・企業合同(トラスト)・持株会社(コンツェルン)といった形式がつくられていく。列強諸国は、こうした経済構造の転換に基づいて、国家の膨張策、つまり帝国主義政策を推進していくのである。
この背景には、"石油と電力"を中心とする技術革新が展開されたことが大きい。第2次産業革命といわれるこの技術革新は、軽工業中心だった第1次と異なり、電機・鉄鋼・石油化学などの重工業/重化学工業の進歩を生みだした。鉄鋼部門では、ベッセマー(イギリス。1813-98)やシーメンス(ドイツ。1823-83)、交通部門ではダイムラー(ドイツ。1834-1900。ガソリン自動車)・ディーゼル(ドイツ。1858-1913。ディーゼル機関)・ツェッペリン(ドイツ。1838-1917。飛行船)・ライト兄弟(アメリカ。兄1867-1912。弟1871-1948。飛行機)、通信部門ではモールス(アメリカ。1791-1872。電信機)・ベル(アメリカ。1847-1922。電話機)・マルコーニ(イタリア。1874-1937。無線電信)、化学部門ではノーベル(スウェーデン。1833-96。ダイナマイト)などが台頭した。そして、電気・電力部門で歴史的に多大な実績を残したアメリカ人技術者、トーマス=アルヴァ=エディソン(エジソン。1847-1931)も第2次産業革命を支えた第一人者であった。
エジソンは1847年2月11日、オハイオ州で生まれた。ミシガン州の小学校に入学してからは劣等生扱いを受け、わずか3ヶ月で中退、母親の教育指導で化学と技術を習得していった。12歳の時、鉄道での新聞販売で働くが、その間も化学実験や技術の修練は怠らず、中古印刷機による車中新聞を大量に発行して売上を伸ばすといった、およそ少年期らしからぬ大器の片鱗をみせた。その後電信技術を学び、14歳になるとアメリカやカナダ各地で鉄道電信技師として、8年働いた。翌年、線路に落ちた子どもを救助したことで、子どもの父である鉄道電信技師に電信術を教わり、自動的に信号を送信する機械を発明し、エジソンにおける最初の発明を為したと言われる。
1876年、ニュージャージー州のメンロパークにてエジソン研究所を設立、本格的に発明品の研究にとりかかった(1876-87)。翌1877年、円筒式の蓄音器を発明、またベルの発明した電話機を改良した(音声送信機)。1879年には、電球の実用化を目指し、電気を発光させるフィラメントとして炭化した竹(京都八幡市の男山で産出)を用い、結果"エジソン電球"といわれる白熱電球の開発に成功した。そしてニューヨークで世界最初の中央配電所を設立、ガス灯から電灯への転換をもたらした。研究所を同州ウエストオレンジに移設後も研究には余念がなく、1880年代から1910年代にかけて、発電機・活動写真・映写機・アルカリ蓄電池などを発明、開発した。1884年に白熱電球の研究中、熱されたフィラメントが熱電子を放射する現象("エジソン効果")を見出し、後にフレミング(イギリス。1849-1945)の二極真空管発明(1904)に発展していく。またエジソンは電灯事業をおこし(1878。エジソン電灯会社。現ゼネラル=エレクトリック("GE")の原点)、そこでヘンリー=フォード(アメリカ。1863-1947)を主任技師として招くことになった(1891)。フォードはここで働く傍ら自動車を製造に成功して(1892)、エジソンから激励を受け、後に"自動車王"と言われる大実業家へと変貌を遂げていくのである。
帝国主義政策の究極である第一次世界大戦(1914-18)が勃発すると、戦時中エジソンは潜水艦関係の開発を求められた。戦後は再びウエストオレンジにて研究開発にふけり、彼を師と崇めるフォードも彼を援助した。
1931年10月18日、妻に看取られて、84歳で没した。臨終を迎えた時、「向こう(=来世)はとても美しい」が彼の遺言であった(「仕事はすでに終わった」の説もある)。エジソンの訃報は全米を駆けめぐり、全米で彼の死を弔う1分間の消灯が行われた。
"天才とは1%の霊感と99%の汗のたまものである"というエジソンの言葉があるように、一瞬の霊感(inspiration)、つまりひらめきと、汗(perspiration)、つまり汗だくになって多大な努力をすることが、才能開花への到達となるのですね。落第からのスタートだったにもかかわらず、立身出世を遂げたエジソンにおける、とても深みのある言葉だと思いません?受験生もこれを励みに頑張っていただきたいと思います。
長々とお休み致しましてスミマセンでした。遂に"高校歴史のお勉強"、再始動となりました。101回目の今回は、発明王エジソンの伝記をご紹介させていただきました。"メンロパークの魔術師"の異名を取るエジソンは、日本では本編でも紹介したように、竹でフィラメントをつくって電球を光らせたことで有名ですが、彼にも数多くのトリビアが残されています。たとえば、電話の挨拶で使われる英単語の"Hello"は彼の考案であるという説や、蓄音器発明の際、機器が喋ることに疑念を持った牧師が、蓄音器に向かって難しい人名を早口でまくし立てたが、同じように言い換えされたことで驚倒したとかあります。また電力供給方法を直流か交流かで、ライバル社との対立があり、エジソンは直流を主張していました。交流は高圧の場合は感電死する危険性があり、これを試す実験を動物で行いました。これを公開したところ、ニューヨーク市議会が注目します。結果、交流使用となる死刑用電気椅子の開発が施されることになります。エジソンは死刑廃止論者でしたから、無念だったでしょう。
今回の学習ポイントです。"エジソンはえらいひと~ そんなの常識~♪"という歌があるように、エジソンは有名すぎて、あまり出題されることはありませんが、帝国主義政策が本格化するきっかけとなった第2次産業革命期の人物であることは知っておいて欲しいです。この第2次産業革命は本編で挙げた人物(特に太字)は、答えさせる問題は少ないですが、有名人ばかり出てきますので、侮れないでしょう。本編以外では、以下に挙げた文化人が有名です。覚えておきましょう。
おおよそ月1回(ないし2回)のペースで更新致します。以前より更新がゆったりとなりますが、今後とも"高校歴史のお勉強"をよろしくお願い申し上げます。