4月10日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1302年の4月10日、この日はフランスで最初の身分制議会が発動された日です。
 時はフランス、カペー王朝の時代。国王は端麗王と呼ばれたフィリップ4世の治世です(位1285-1314)。それまで君主と言えば神聖ローマ皇帝(ドイツの皇帝)、キリスト教の権威と言えばローマ教皇でした。ところが神聖ローマ皇帝は1254~73年の間はいわゆる”大空位時代”があり、空位が解けても国王選出選挙のたびに王家が変わるという不安定さでありました。ローマ教皇にしても教皇至上主義の強勢で封建領主からの反発もあり、一時の絶頂期からは大きく後退しておりました。こうした中、フランス君主権の強大化をはかり、非課税であったキリスト教会の課税を要求したのです。この時のローマ教皇ボニファティウス8世(位1294-1303)は強く反対し、地上にいるあらゆるキリスト教徒よりも権力が上だと主張し、課税に反対しました。
 これに対して、フィリップ4世は自身の君主権を強くうったえ、当時の教皇の権力横行を抑えるために、聖職者、諸侯(貴族)、市民代表の3つの身分からなる国会を発動したのです。このフランス身分制議会を”三部会“といいます。これまでは国家権力や聖職権と対等に話し合うことが許されなかった市民の意欲は上昇しました。フランスだけでなく、全ヨーロッパのキリスト教徒をとらえるローマ教皇よりも、フランス国家の国民としてとらえる姿勢を議会でうったえたフィリップ4世に市民からの支持が集まり、ついにボニファティウス8世はイタリアのアナーニで捕らえられました(1303年。アナーニ事件といいます)。こうしてフランス初の身分制議会を開いた国王フィリップ4世は教皇権よりも強力な君主権を勝ち取ることに成功したのです。その後のフィリップ4世は強権を誇り、王権に反抗的な騎士団の土地を没収したり、教皇庁をローマからフランスのアヴィニョンへ強制的に移したりしました。しかしカペー王家の権勢はフィリップ4世の代が終わると縮小と化し、1328年に断絶しています。

カペー朝 フランス王朝史1 (講談社現代新書) [ 佐藤賢一 ]

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