6月25日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1861年6月25日は、オスマン帝国(1299-1922)の第31代皇帝、アブデュルメジト1世(在位1839-61)が没した日です。
 1839年の即位時は、エジプトとシリアの支配統治を求めるエジプト太守ムハンマド・アリー(太守任1805-48)がオスマン帝国に盾突いた、第二次エジプト・トルコ戦争の真っ直中でした。この戦争は西ヨーロッパから見た、いわゆる東方問題の1つであり、イギリスやオーストリアが介入して、結局ムハンマド・アリーはシリアは認められずともエジプトやスーダンの総督において世襲で統治することが認められ、オスマン帝国の支配下にあってもエジプトはムハンマド・アリー朝として支配することが可能となりました。オスマン帝国の領域で起こった内紛、これをヨーロッパが仲介に入るといった出来事を、もはや大帝国だった面影がなく、他国に頼らざるを得ない現状として痛感したアブデュルメジト1世は即位して以後、内部の改革に着手する必要性を感じたのです。改革のテーマは、オスマン帝国の西欧化と、近代化でした。
 1839年、トプカプ宮殿ギュルハネ庭園において、宗教、財政、議会、司法、行政、軍事、法律といったあらゆる部門の改革を発表しました。この”ギュルハネ勅令“において、アブデュルメジト1世は、上からの改革を施すことを決意しました。この改革を”タンジマート(恩恵改革)”と呼び、1876年のミドハト憲法制定までこの改革は続けられました。
 一方で、ロシアや西ヨーロッパからの介入は依然として続きます。当時、キリスト教の聖地イェルサレムの管理権は、オスマン帝国内で管理されていることから、フランスやロシアが介入してきます。まずフランスはカトリック保護者としてオスマン帝国から聖地管理権を譲り受けると、これを許さないとして、東方正教会の保護国的存在であるロシアがフランスとオスマン帝国を批判しました。実はロシアにしてみれば聖地管理権は口実で、不凍港を目指して黒海、地中海を切り拓くための南下政策を行いたいのが本音でした。ロシアはオスマン帝国に宣戦、イギリスやフランスはオスマン帝国を支援する形で、大きな戦争になりました。1853年に行われたクリミア戦争(1853-56)の勃発です。この戦争はイギリスやフランスをはじめ、イタリア統一を狙うサルディーニャの支援もあり、オスマン帝国側の勝利で終わります。1856年のパリ条約でオスマン帝国の領土保全が約束され、ロシアが独占したかったドナウ川の航行の自由化、同じくロシアが自由に使用したかった黒海の中立非武装化などが決められました。ロシアの南下政策は退けられ、オスマン帝国は西ヨーロッパのキリスト教国との国際条約を締結することにより、国際的な地位を認められることになるのです。
 しかし軍事費の増大でオスマン帝国の財政逼迫は避けられない状態が続き、帝国は依然として苦しい情勢でした。アブデュルメジト1世は宗教面でも領内の宗教差別をなくす勅令を発しますが、反キリスト教信者の不満が暴動へと発展し、イギリスやフランスの軍事介入を招いてしまい、かえって軍事支出が増大化してしまいました。
 改革を生涯に捧げようとしたアブデュルメジト1世でしたが、私生活では真逆の浪費生活の連続でした。市営活での乱費は人望を失い、1861年6月25日、タンジマートの結末を見ることなく、失意の内に結核で没しました。39歳の若さでした。
参考文献:「世界史の目

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