10月24日は何に陽(ひ)が当たったか?

1648年10月24日は、世界史上初めて、本格的な国際法上の講和条約となった、ウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約。正式名称”ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約”)が調印された日です。主権国家体制の途が開かれるきっかけとなった条約です。

1618年に始まった三十年戦争によってドイツは荒廃し、虐殺された多くの罪のない市民・農民の遺体が散乱、またペスト流行によるさらなる人口激減も重なって、都市や村落の各機構も麻痺状態でした。元来非統一的国家であったドイツ(神聖ローマ帝国962-1806)は、領邦(神聖ローマ帝国を構成し、皇帝の支配を受ける、諸侯の半自治国家的区域)の分立が激化しており、神聖ローマ帝国による統一は物理的に無理となっておりました。当時の神聖ローマ皇帝はハプスブルク家から出ており、ハプスブルク朝(1273-1291,1298-1308,1314-30,1438-1742,1745-1806)とも呼ばれておりました。
三十年戦争は、宗教改革後のヨーロッパで、カトリック国(旧教国)とプロテスタント国(新教国)とが争う宗教戦争でした。旧教国側はハプスブルク家が支配する神聖ロ-マ帝国とスペイン、新教国側はオランダ(ネーデルラント連邦共和国)・イギリス・スウェーデン・デンマークですが、旧教国フランス・ブルボン家はハプスブルク家と対立していたため、新教国を支持し、新教国側についた戦争です。
陽の当たった1648年10月24日、三十年戦争の講和会議はドイツ北西のウェストファリアで行われました。ウェストファリアのミュンスターとオスナブリュックの2都市で協議が行われ、神聖ローマ皇帝側・スウェーデン・フランスなどが講和にあたりました。主な決議内容は、以下の通りです。

  • アウグスブルク宗教和議(1555)の確認と新教信仰の承認
  • スイス・オランダ独立の国際的承認。
  • アルザス地方におけるハプスブルク家の諸権利とロレーヌ地方の司教領(ヴェルダン・トゥール・メッツ)がフランス領へ移譲。
  • スウェーデンにも西ポンメルンとブレーメン司教領などを移譲
  • ブランデンブルクにも東ポンメルン、マグデブルク司教領などをそれぞれ移譲。
  • ドイツ領邦は独立を承認(領邦の主権が確立)。
  • 帝国議会へのフランスとスウェーデンの各代表の出席・議決の承認

この決議は神聖ローマ帝国を支配するハプスブルク家が、フランス・ブルボン家に、完全に敗北したことを意味しました。300に及ぶドイツ領邦の主権が確立したことで、神聖ローマ帝国は形成の意味がなくなり、有名無実化し、事実上解体となったのす。しかしハプスブルク家による神聖ローマ皇帝が今後も輩出されるため精神的存在として残ることになり、ナポレオン1世(位1804-14,15)がライン同盟を結成した1806年までいちおう存続しました。このため、ウェストファリア条約は別称”神聖ローマ帝国の死亡証明書“と呼ばれるのです。近代国際会議の先駆となったこの会議は、国際関係を定めた会議として、それぞれの国境を持つ独立した国家が、主権を持ってのちの近代国家を形成する、いわば主権国家体制へのアシストを施したといって良いでしょう。

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