11月24日は何に陽(ひ)が当たったか?
1963年11月24日は、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領(1917-63。任1961.1.20-1963.11.22)暗殺事件の実行犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルド(1936-63)が、逮捕直後に暗殺された日です。
暗殺犯とされたオズワルドは、先月末に大統領の自動車パレード(直後に暗殺)が行われたディーレイ・プラザ沿いにある教科書倉庫ビル内での従業員として採用され、大統領狙撃前後に複数からあらゆる場所で目撃されていた人物でした。逮捕時は大統領狙撃後に起こった警官射殺事件の容疑者としてでした。オズワルド容疑者は職務質問を行おうとした警官に発砲したとされ、近くの劇場で逮捕されました。そして、当夜にはケネディ大統領暗殺事件の実行犯として再逮捕されました。彼の素性や犯行動機、組織の陰謀かあるいは単独犯行か、そもそも彼による犯行かどうか、尋問は山のようにありました。これから時間をかけてオズワルドを徹底的に問い詰める予定でしたが、予期せぬ出来事が起こりました。暗殺事件の2日後にあたる1963年11月24日、ダラス市警本部留置所から拘置所へ移送する際の、報道関係者が数多く集まっていた市警本部の地下通路で、オズワルドは人混みから出てきた1人の男性によって射殺されたのです。
この地下通路内での一部始終は全米で生中継されたので、さらなる衝撃が走りました。オズワルドを射殺した人物はジャック・レオン・ルビー(1911-1967)で、ダラスでナイトクラブを営んでいた人物でした。オズワルドを殺した動機として、最愛の夫(→ケネディ大統領)を失ったジャクリーン未亡人(ジャクリーン=ブーヴィエ。1929-1994)と子ども達のためとルビーは供述しているものの、マフィアやキューバ要人との関係も取りざたされた人物でもあったため、信憑性は薄いものでした。事件の真相は推論ばかり浮かび上がり、オズワルドとルビーとの関係もわからないまま、ルビーも4年後に獄中で病死しました。これにより、ケネディ大統領暗殺事件の真相は現在においてもなお掴められてはいません。
引用文献『世界史の目 第127話』より