2月27日は何に陽(ひ)が当たったか?
272年2月27日は、帝政ローマ(ローマ帝国。紀元前27-紀元後395)のコンスタンティヌス帝(コンスタンティヌス1世。位306-337)の生誕年月日です(272-337)。前日に引き続いて専制君主政(ドミナートゥス。284-395)を取り上げます。
コンスタンティヌス1世の時代は、312年の戦争(ミルウィウス橋の戦い)の際、天空に”汝これにて勝て“という文字が十字架とともに現れ、これに弾みがついて戦勝をもたらしたという伝承があり、これはディオクレティアヌス帝(284-305)の時代に迫害されても絶やすことなく、カタコンベ(地下墓所)などでも活動していたキリスト教会の教父たちに広められていきました。翌313年、コンスタンティヌス帝は東帝リキニウス(位308-324)とミラノ勅令を発してキリスト教を公認しましたが、リキニウス帝が迫害に転じたことで、彼を破って単独皇帝となりました、帝国統一の最初の事業として、325年、ニケーアで公会議を開き、アタナシウス(295?-373)の主張する”三位一体(父なる神・子なるキリスト・聖霊が一体である)”を正統とし(アタナシウス派)、イエス・キリスト(B.C.4?-A.D.30?)の神性を認め、これに対抗するするアリウス(250?-336)のアリウス派(“キリストは父なる神の被造者”としてキリストを人性を主張)を異端としました。また330年、非キリスト教的伝統の強いローマを離れ、ビザンティウム(ビザンティオン)へ遷都、コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)と名付けました(現トルコのイスタンブル)。
内政ではコロヌス土地緊縛令(332)を発して身分と職業の固定を重視し、官僚を整備してドミナートゥスを維持しました。外政ではゲルマン一派のゴート族の討伐を行いました。
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