1月20日は何に陽(ひ)が当たったか?
1924年1月20日は、中国における中国国民党と中国共産党が協力関係を示す”第一次国共合作”が成立した日です。
1922年、社会主義国として誕生したソビエト連邦(ソ連)は不平等条約撤廃を主張する、いわゆるカラハン宣言(1919)を出して中国を支持しました。中国は1918年、すでに北京大学で社会主義・共産主義についての研究が、陳独秀(ちんどくしゅう。1880-1942)や李大釗(りたいしょう。1889-1927)らによって進められており、反帝国主義・反封建主義・打倒軍閥政府などによって展開された五・四運動(1919.5.4)などを背景として、中国共産党の結成を試みました。やがて、各国共産主義・社会主義政党の統一機関コミンテルン(活動1919-45)の指導をもとに、上海において中国共産党が結成されました(1921陳独秀・李大釗)。一方孫文(1886-1925)も、ロシア革命(1917)、五・四運動、さらにカラハン宣言など刺激して、自身の秘密結社・中華革命党(1914.7)を改編し、1919年、中国国民党を結成、秘密結社から公開政党として展開していきました。
孫文はソ連外交官ヨッフェ(1883-1927)と会談して中国国民党一全大会(1924広州。第1回全国代表大会)を開催し、国民協調主義路線を唱えて国民革命の実現を目指す国民党として、改組を強調しました。この大会は孫文と、共産党の陳独秀との意気投合を実現させ、国民党と共産党が力を合わせて国民革命の目標を掲げることになったのです。
これにより陽の当たった1924年1月20日、共産党員が党籍を持ったまま個人として国民党への入党が認められて、孫文も辛亥革命(1911-12)の時の三民主義(民族独立・民権伸張・民生安定)を改めて、「連ソ・容共・扶助工農」をスローガンとして掲げました。この大会により、第1次国共合作が実現したのです。
1927年4月の、共産党および国民党左派を弾圧した、いわゆる上海クーデタで国共間は決裂し、7月13日に第一次合作は解消となりました。
引用文献『世界史の目 第13話』より
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