2月11日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1847年2月11日は、エジソン(1847-1931)の出生年月日です。
 トーマス・アルヴァ・エディソンはアメリカのオハイオ州で生まれました。ミシガン州の小学校に入学してからは劣等生扱いを受け、わずか3ヶ月で中退、母親の教育指導で化学と技術を習得していきました。12歳の時、鉄道での新聞販売で働きますが、その間も化学実験や技術の修練は怠らず、中古印刷機による車中新聞を大量に発行して売上を伸ばすといった、およそ少年期らしからぬ大器の片鱗をみせました。その後電信技術を学び、14歳になるとアメリカやカナダ各地で鉄道電信技師として、8年働きました。翌年、線路に落ちた子どもを救助したことで、子どもの父である鉄道電信技師に電信術を教わり、自動的に信号を送信する機械を発明、エジソンにおける最初の発明を為したと言われます。
 1876年、ニュージャージー州のメンロパークにてエジソン研究所を設立、本格的に発明品の研究にとりかかりました(1876-87)。翌1877年、円筒式の蓄音器を発明、またベル(1847-1922)の発明した電話機を改良しました(音声送信機)。1879年には、電球の実用化を目指し、電気を発光させるフィラメントとして炭化した竹(京都八幡市の男山で産出)を用いて、結果”エジソン電球“といわれる白熱電球の開発に成功しました。そしてニューヨークで世界最初の中央配電所を設立、ガス灯から電灯への転換をもたらしました。研究所を同州ウエストオレンジに移設後も研究には余念がなく、1880年代から1910年代にかけて、発電機・活動写真・映写機・アルカリ蓄電池などを発明、開発しました。1884年に白熱電球の研究中、熱されたフィラメントが熱電子を放射する現象(“エジソン効果”)を見出し、後にフレミング(イギリス。1849-1945)の二極真空管発明(1904)に発展していきます。またエジソンは電灯事業をおこして(1878。エジソン電灯会社。現ゼネラル・エレクトリック(“GE”)の原点)、そこでヘンリー・フォード(アメリカ。1863-1947)を主任技師として招くことになりました(1891)。フォードはここで働く傍ら自動車を製造に成功して(1892)、エジソンから激励を受け、後に”自動車王”と言われる大実業家へと変貌を遂げていくのです。
 帝国主義政策の究極である第一次世界大戦(1914-18)が勃発すると、戦時中エジソンは潜水艦関係の開発を求められました。戦後は再びウエストオレンジにて研究開発にふけり、彼を師と崇めるフォードも彼を援助しました。
 1931年10月18日、妻に看取られて、84歳で没しました。臨終を迎えた時、「向こう(・来世)はとても美しい」が彼の遺言でありました(「仕事はすでに終わった」の説もあります)。エジソンの訃報は全米を駆けめぐり、全米で彼の死を弔う1分間の消灯が行われたのでした。
引用文献『世界史の目 第101話』より

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