2月25日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1848年2月25日は、フランスで第二共和政が発足した日です(1848.2-1852.12)。前日24日に二月革命が勃発し、臨時政府がおこされました。
 臨時政府は、産業資本家や有産市民、またロマン派の詩人ラマルティーヌ(1790-1869)ら穏健共和主義者たち、また少数の労働者や、急進的雑誌『良識』の編集長ルイ・ブラン(1811-82)ら社会主義者などで構成されました。政府はすぐさま共和国宣言を行い、陽の当たった2月25日、フランス第二共和政が成立しました。ルイ・ブランは、武装した下層市民を従えて徐々に台頭、リュクサンブール委員会という労働委員会を設置して、その委員長に就任しました。そしてその幕開けとして委員会に属する”国立作業場“の設置を発表、実行に移しました。ルイ・ブラン委員長は最低賃金・労働時間の設定など、労働者階級の改善策を施し、労働問題を収束させて、生産の国家統制をはかろうとしましたが、これは紛れもなく社会主義的改革でありました。
 このため、穏健共和主義者は、ルイ・ブランの社会主義的改革に不満を呈し、やがて両者は対立しました。国立作業場は、恐慌における失業者対策としての土木作業など、有効ではありましたが、社会主義の理念に基づくため、開店休業中でも賃金を給付する義務があり、資本家やブルジョワは困惑するのも当然でありました。またにわか作りの工場であるため資材の流通、仕事の配分、土地の確保などで混乱し、特に農民は社会主義化(農場国営化・集団化)による土地没収の不安が高まりましたので、ルイ・ブランら労働者・社会主義者側を離れて穏健共和主義者側を支持するようになっていきました。
 1848年4月、総選挙が行われ(四月普通選挙)、結果、労働者・社会主義者側は惨敗、穏健共和主義者による組閣が行われました。リュクサンブール委員会は解散させられ、国立作業場も閉鎖となりました(6月21日)。このため、作業場の労働者は一転して再度失業者となり、23日から26日にかけて大規模な労働者暴動がパリを中心に展開(六月暴動)、ルイ・ブランは亡命身分となり、彼の改革は崩壊しました。
引用文献『世界史の目 第102話』より

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