3月5日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1953年3月5日は、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連。1922-1991)の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878-1953。書記長任1922-53)の没年月日です。
 
 第二次世界大戦(1939-45)後、ソ連は社会主義国・中国と親交を結び、スターリンは東西冷戦(冷たい戦争)における東側陣営の主役となって、資本主義国を脅かしました。国内では、ドイツ、日本との戦いを勝利に導いたスターリンを讃えました。
 しかしスターリンは、1953年3月1日、書記局員のゲオルギー・マレンコフ(1902-88)、国防相のニコライ・ブルガーニン(1895-1975)、そして独ソ戦で陸軍中将、ウクライナ首相などを務めていたニキータ・フルシチョフ(1894-1971)らと会食後、脳卒中で突然倒れ、4日間起きあがらず3月5日、死去しました(スターリン死去)。死因は脳内出血と発表され(暗殺説もある)、レーニン廟で埋葬されました。ソ連の独裁的存在の消滅は、内外に大きな衝撃を与えました。
 その後、マレンコフが首相を務め(任1953-55)、フルシチョフが党第一書記に選出されました(任1953-64)。マレンコフはその後フルシチョフと対立し解任・失脚、ブルガーニンが首相となりました(任1955-58)。フルシチョフは個人独裁を否定し、集団指導制と呼ばれる指導体制に切り換え、指導者の合議を通過して重要議案を決するものとしました。
 1956年2月、スターリン死後最初のソ連共産党第20回大会が開催されました。フルシチョフ体制では、東西冷戦の”雪どけ“を決定づける「平和共存路線」を発表、その後東側陣営の情報局的存在だったコミンフォルム(1947.10-1956.4)の解散が実現しました。さらに、同大会の最終日(2.25)、フルシチョフが秘密報告としてスターリンの個人崇拝と、スターリンが行った大粛清を正々堂々と非難します(いわゆる”スターリン批判“)。この秘密報告は6月、全世界に公表されました。
 フルシチョフは、第22回大会でも同様にスターリン批判を行いました。同大会でのスターリン批判では、大粛清の契機となったセルゲイ・キーロフ(1886-1934)の暗殺事件(1934年11月、レニングラードの党中央委員会第一書記だったスターリン派の要人キーロフが、党本部で暗殺された事件。当時反スターリン派によるテロ行為とみなされ、これを機に1936年から39年にかけて、これまで革命や国家樹立に貢献してきた共産党員、政府、軍部の大物要人たちを大量に逮捕、裁判にかけることになり、この結果、逮捕者は”反革命の罪科”で即時銃殺刑が決められ、未曾有の大粛清がはじまります)についても触れられ、再調査の段階であると発表しました。そして現在では、事件の真相は勃発当時とは大きく異なっており、人気の上がっていたキーロフに対してスターリンが嫉妬した、反対派を粛清するための口実として、スターリン自身が暗殺者を利用、キーロフを殺害させたとの見方を強めているとされています。
 スターリン批判は一部を除いて瞬く間に東欧諸国にも浸透し、1961年、スターリンの遺体はレーニン廟から撤去されました。

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