5月9日は何に陽(ひ)が当たったか?

1996年5月9日は、最後の日本生命球場(略称:日生球場)でのプロ野球公式戦が行われた日です。
日生球場は、1949年から2004年までパシフィック・リーグの球団として親しまれた近鉄球団の、1958年からの本拠地として使用されました。1979年の優勝を決める近鉄バファローズ対阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)のプレーオフ(当時は前期優勝チームと後期優勝チームとのプレーオフで、そのシーズンの優勝チームを決めるシステムでした)では前期優勝チームの近鉄の主催試合から始まりましたが、施設面で問題があったことから南海ホークス(現:ソフトバンク・ホークス)の本拠地である大阪球場を使用することになりました(3試合目より阪急主催の阪急西宮スタジアムで開催)。結果は阪急を下して3連勝した近鉄が球団として初めての優勝を果たしました。この時、近鉄ナインは西宮から日生球場へ向かい、そこでファンの前で公開ビールかけをおこない、優勝に喜びを分かち合いました。
1983年、近鉄球団は本拠地を日生球場から藤井寺球場に移すことが決定、主催試合の大部分を藤井寺で行うことが決まりましたが、日生球場での試合もシーズン中に何試合か行われましたが、1990年代に入り、運営側の日本生命は日生球場のエリアを野球としての役目を終わらせ、再開発することを決めました。そして、最後の一戦となる、1996年5月9日、ダイエー・ホークス(現・ソフトバンク・ホークス)を迎えた近鉄主催ゲームのナイターが行われました。当時ダイエーはこれまで3連敗を喫しており、勝率2割9分で状態が悪く、この日も結果は1点差で敗れ(2-3)、4連敗となりました。近鉄にしてみれば、最後の公式戦となった日生球場で有終の美を飾ることができたのですが、試合終了後、ダイエーのナイン、王貞治監督をはじめコーチ陣が乗り込んだバスにめがけて、敗戦に激怒したダイエー・ファンが生卵をぶつける暴挙に出たのです。これは生卵事件としてホークスにとって不名誉な事件ではありました。
日生球場は1997年に閉鎖が決まり、同年11月に行われた全日本アマチュア野球王座決定戦が最後の公式戦となり、12月31日に閉鎖されました。現在は解体され、ショッピングモール「もりのみやキューズモールBASE」が球場の跡地に建設されますが、名称の”BASE”があることからもおわかりのように、野球への敬意を立派に表し、同地での繁栄をしっかり継承しています。

近鉄バファローズの時代 プロ野球史上最も熱かった球団の50年史 (知的発見!BOOKS) [ 大阪バファローズ研究会 ]

価格:1,000円
(2018/4/24 17:39時点)
感想(1件)

近鉄バファローズ猛牛伝説の深層 (追憶の球団) [ 梨田昌孝 ]

価格:1,620円
(2018/4/24 17:40時点)
感想(1件)