8月17日は何に陽(ひ)が当たったか?
1945年8月17日は、ベトナムで八月革命が勃発した日です。
1887年、フランスは東南アジアのインドシナ半島で、フランス最大の植民地であるインドシナ連邦(仏領インドシナ。仏印。1887-1945)をつくり、ハノイに総督府を置いていました。第一次世界大戦が終わった1920年代、愛国派のナショナリズム(インドシナ民族運動)が盛んになる中で、知識人層の中からホー・チ・ミン(1890-1969)が台頭します。
ホー・チ・ミンは21歳の時フランスへ渡航、またロシア革命(1917)の影響を受けてマルクス・レーニン主義に傾倒して、1920年にフランス共産党に入党、1924年にはコミンテルン(1919-1943)のモスクワ大会にも参加、1925年中国・広東にて”ベトナム青年革命同志会“を結成してインドシナ民族運動に活躍した革命家でした。
ホーは、ベトナム青年革命同志会を基盤として、1930年にベトナム共産党(インドシナ共産党)を結成、対仏運動に力を注ぎました。ところが1940年9月、南進政策を目指す日本が北部仏印進駐を実行に移し、ハノイに進出、国内の民族運動は、反仏と反日をかかげた運動に発展することになります。翌1941年ホーは帰国し、共産党を中心にベトナム独立同盟会(ベトミン)を組織して対抗しました。1945年3月、太平洋戦争(1941-45)での日本の敗色が濃くなったことで、日本軍はクーデタによってフランスの植民地政権を倒し、インドシナ連邦の解体を実施、当時のベトナム王朝、阮朝(グェン。1802-1945)の皇帝、保大帝(バオ・ダイ。位1925-45)によるベトナム帝国の独立を、日本の要請に応じて宣言しました(ベトナム帝国。1945.3.11-1945.9.2)。
太平洋戦争における日本の敗戦がほぼ決定的となったことで、ホー=チ=ミンは、8月13日に総蜂起を発令、陽の当たった8月17日、ベトミンおよび共産党はベトナムの完全独立を呼びかけて総蜂起を決行、ハノイで革命が始まりました。この革命運動に民衆が支持していき、革命規模は拡大、サイゴンやフエにおいても大衆デモがおこり、警察隊もベトミンの行動を支持するようになっていきました。日本は何もすることができず敗退、30日フエにいたバオ・ダイは退位を表明、阮王朝は形骸と化しました。これが”八月革命“です。日本が降伏文書に署名した9月2日、ホー・チ・ミンはハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言、ホー・チ・ミンは大統領に就任しました(任1945-69)。阮王朝は滅亡に至りました。
しかしフランスは植民地だったインドシナでの、ベトナム民主共和国の建国を認めませんでした。やがて1946年12月、インドシナ半島で第一次インドシナ戦争が勃発し、1976年7月2日の南北ベトナム統一まで、戦火のやまない時代が続くことになるのです。
引用文献:「世界史の目 34話」
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