10月12日は何に陽(ひ)が当たったか?
1492年10月12日は、探検家クリストファー・コロンブス(1451?-1506)が、大航海時代のキリスト教世界の西欧人としては最初にアメリカ海域へ到達した日です。
コロンブスは、以前から航海術・天文学の知識を身に付け、航海に従事していたとされます。1479年にはリスボンに移ってイタリア人の娘と結婚しましたが、この時義父から新しい航海の資料を得ました。それはイタリア・フィレンツェの天文学・地理学者トスカネリ(1397-1482)の「地球球体説」でした。この資料に刺激を受けたコロンブスは、大西洋を西航してインドに到達することを信じます。
当時キリスト教領土拡張に野心を抱いていたスペイン女王イサベル1世(位1474-1504)はコロンブスの航海による新領土発見を期待し、コロンブスからの会見に応じました。1492年4月、イサベルは夫でスペインを共同統治するフェルナンド2世(位1475-1516)と共にコロンブスの援助を決め、コロンブスは遂にスペイン両王の命で大西洋西航によるインド到達計画を実施するに至りました。しかし、イサベルはそれほど重要には考えてはおらず、援助は彼女の所持品(指輪か?)ただ1つだったとされています。
同1492年8月3日、コロンブスは3隻の帆船(サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号)と乗員120人を率いて、カスティリャのパロス港を出航、大西洋を西へと横断する航海が始まりました。しかし快調に進むはずが、約10週間(72日)も航海が続き、食糧不足や未達の苛立たしさから船員間に不協和音が起こるなど、必ずしも順風満帆ではありませんでした。しかし陽の当たった10月12日未明、遂に陸地を発見、バハマ諸島の一部グアナハニ島に到達しました。コロンブス一行は同島に上陸して、「サン・サルバドル島(=スペイン語で”聖なる救世主”)」と名付けました。
その後コロンブス一行は、大アンティル諸島のキューバ、ハイチと探検し、ハイチに植民者を残して翌1493年3月に帰国しました。コロンブス本人は到達地をインドの一部と信じていたものの、この航海はヨーロッパ人によるアメリカ大陸発見の糸口となったのです。
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