5月16日は何に陽(ひ)が当たったか?

 2007年5月16日は、フランス第五共和政(1958-現在)において、ジャック・シラク大統領が大統領職を退任した日です。
 1962年に政界へ飛び込んできたシラクは、行動力ある政治力を武器に、1974年5月、ジスカール・デスタン大統領就任とともに、フランス共和国首相に就任し、1976年4月までつとめました。同年12月、シラクは共和国民主連合(反英米のド・ゴール主義を支持する政党)を再編し、共和国連合(RPR)を組織、1994年まで党首となりました。同時期にシラクはパリ市長も務めています(1977-95)。その間大統領選挙にも出馬しましたが、フランソワ・ミッテラン(社会党。PS)に破れました。しかし1986年から88年まで、ミッテラン政権のもとで、再度首相をつとめました。
 1995年5月17日、3度目の挑戦となった大統領選挙で、ジョスパン(PS)を破り第22代大統領として就任しました(2002年の大統領選挙でも引き続き再選)。大統領に就任したシラクは、包括的核実験禁止条約(CTBT。核実験・核爆発を禁止する条約。アメリカなど核保有国の批准がないため未発効)について叫ばれる中で、フランス領のポリネシアで核実験を強行し、国際的に非難を浴びました。
 外交では、石油関係でイラクと良好な関係を築いていたため、アメリカが主導した2003年のイラク戦争には反対を表明します。一方ヨーロッパ統合政策には積極的にドイツのシュレーダー首相と協力体制をとり、欧州連合(EU)の強化に努めました。ただしEU憲法の是非を国民投票で問うも国民の反対で発効できませんでした。
 国内では若者を対象とした雇用形態の政策を推進します。初期雇用契約(CPE。26歳未満の労働者は2年の試用期間を設けて、内容によっては雇用者は解雇できる)という形態で、雇用機会均等法として2006年4月に法制化しましたが、これに反対する企業、労働組合や大学生らがデモや暴動、ストライキなどが続発し、社会は混乱したため、同法はすぐ撤回することになりました。このため、シラク政権の支持率は低迷、シラクは次の大統領選挙には出馬せず、2007年5月16日に大統領を退任、政界を引退しました。
 シラク大統領は日本には非常に友好的で、日本の文化や歴史には造詣が深く、大相撲を観戦し、万葉集を学習し、日本の歴史的美術を語ることができる親日家で有名です。

ジャック・シラク フランスの正義、そしてホロコーストの記憶のために 差別とたたかい平和を願う演説集 [ ジャック・シラク ]

価格:1,944円
(2018/4/26 19:59時点)
感想(0件)

【中古】 シラクのフランス 岩波新書/軍司泰史(著者) 【中古】afb

価格:237円
(2018/4/26 20:02時点)
感想(0件)