5月18日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1901年5月18日は、日本で初めての社会主義政党が誕生した日です。
 19世紀晩期から20世紀初頭は、国際的な帝国主義政策がさかんとなり、ヨーロッパ列強による中国やアフリカ大陸の分割政策が行われました。日本では、日清戦争に勝利後の産業革命の影響で、明治中期以降の資本主義経済の発展と財閥の成長から、企業勃興があいつぎ、工場で働く賃金労働者の数も急増しました。しかし資本主義推進に伴う恐慌の発生や、拡大する貧富の差、劣悪な環境や待遇のもとで働く労働者の不安などが叫ばれていき、社会問題となっていきました。そして、こうした問題を社会主義の視点で解決する動きが出てきました。
 1897年7月に高野房太郎(たかの ふさたろう)らとともに”労働組合期成会“を立ち上げた片山潜(かたやま せん)は、機関紙『労働世界』の編集、創刊するなどして労働運動の中心を歩みました。またアメリカでキリスト教的人道主義を研究した安部磯雄(あべ いそお)はキリスト教から学ぶ社会主義を主張しました。さらには、当時の帝国主義政策を批判した社会主義者の幸徳秋水(こうとく しゅうすい)をはじめ、堺利彦(さかい としひこ)、木下尚江(きのした なおえ)、河上清(かわかみ きよし)、西川光二郎(にしかわ みつじろう)らが社会主義運動に加わっていきました。
 1898年に神学者で社会主義者の村井知至(むらい ともよし)を会長に、安部磯雄、片山潜、河上清、堺利彦、幸徳秋水、木下尚江、西川光二郎のメンバーが集まって”社会主義研究会“が結成されました。1900年1月、この組織は安部磯雄を会長に”社会主義協会“として改編されます。
 社会主義協会のメンバーは日本初の社会主義政党の結党に挑みます。これが1901年5月18日に結成された社会民主党です(堺利彦は不参加)。おもな主張は、軍備の全廃、階級制度の全廃、資本の公有、交通機関の公有、普通選挙実施(参政権の平等化)、教育公費負担などが挙げられました。
 しかし第二次山県内閣は社会主義の抑制をすすめており、1900年3月に社会主義を取り締まる治安警察法を施行しておりました。このため、社会民主党の結党は触法行為として、結党の禁止を言い渡され、5月20日に解散となりました。
 社会主義協会の政党結成は失敗に終わり、協会も第一次桂内閣によって1904年に解散させられました。日本における実質的に政府(当時は第一次西園寺内閣)によって公認された、合法的社会主義政党は、1906年に堺利彦、片山潜らによって結成された”日本社会党“まで待つことになります。

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