9月16日は何に陽(ひ)が当たったか?

1972年9月16日は、アメリカのロック・グループ、Styx(スティクス)のデビュー・シングル、”Best Thing“がBillboard HOT100シングルチャートの同日付で93位にエントリーした日です。この曲は同年8月にリリースされたデビューアルバム、”Styx(邦題:スティクスⅠ)”からのファースト・シングルです。
1961年、John Panozzo(ジョン・パノッツォ。drums)とChuck Panozzo(チャック・パノッツォ。Bass)の双子の兄弟は、近所に住んでいたDennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)を誘って、ガレージバンド、The Tradewinds(トレイドウィンズ)を結成しました。この時、JohnとChuckは12歳、Dennisは14歳で、Johnはドラム、Chuckはリズムギター、Dennisはアコーディオンの少年トリオ編成でした。その後Chuckが神学校へ通うため一時的に離脱しましたが、その間はTom Nardin(トム・ナーディン。gtr)が加入してChuckの穴を埋めました。学業を終えたChuckは1964年までにThe Tradewindsに復帰しますが、そこでChuckはベースにまわり、以後バンドのベーシストとしてJohn PanozzoとともにTradewindsのリズム隊を担うことになりました。そしてTomはギター全般を、Dennisはアコーディオンだけでなく、ピアノやオルガンも扱うようになっていきました。
ところが1965年、”New York’s a Lonely Town”という曲をBillboard HOT100シングルチャート32位を記録した、別のThe Trade Winds(ザ・トレイド・ウィンズ)がでて、のち彼らはThe Innocence(ジ・イノセンス)と名を変えたものの(改名は1966年)、混同を避けるためにDennis側のThe Tradewindsは同年、TW4と改名しました。この名はTradeindsのTとWをとった4人という意味にもとれますが、実際は”There Were 4“の意味だとされています。
TW4と改名後、Panozzo兄弟とDennisはシカゴ州立大学で学業を積みながら、TW4も並行してシカゴの高校やローカル・クラブ、バーなどでギグを行いました。大学ではJohn [JC] Curulewski(ジョン・クルルウスキー。gtr,vo)との出会いがあり、彼はアメリカ南部でも音楽活動を行っていました。1969年、Tom NardinがTW4を脱退するハプニングがありましたが、その穴をJCが埋める形でTW4にギタリストとして加入することになりました。1970年にはイリノイ工科大学の学生だったJames [JY] Young(ジェームズ・ヤング。gtr,vo)がギタリストとして加わり、TW4は5人編成になりました。JCとJYが加わったことで、これまでのガレージ・ロックからクラシカルなプログレッシブ・ロックを試みるようになり、1971年、当時ロサンゼルスのハリウッドにあった、設立されたばかりのレコード・レーベル、”Wooden Nickel(ウッドゥン・ニッケル。活動期間1971-77。RCA傘下)”の設立者の一人、Bill Traut(ビル・トラウト。1929-2014)に認められ、同レーベルとの契約が決まりました。その際Billの提案により、グループ改名をすすめられ、いくつかの案が出されましたが、満場一致で決まったのがStyx(スティクス)でした。ギリシャ神話に登場する、永遠の命の源とよまれる、現世と来世の間を流れる川(日本でいう”三途の川“。ステュクス)を意味します。かくして、Dennis、John、Chuck、JC、JYの5人からなるロック・グループ、Styxが誕生しました。
1971年、さっそくParagon Recording Studiosでレコーディングが行われ、Billと、カナダ人プロデューサーJohn Ryan(ジョン・ライアン。1928–2010)がプロデュースにあたりました。Bill、John Ryanだけでなく、エンジニアやミキシング担当として、第6のStyxとも言われるべきBarry Mraz(バリー・ムラッツ)など優秀なスタッフに恵まれて、収録する6曲が完成し、1972年8月、デビュー作”Styx(邦題:スティクスⅠ)”がリリースされました。幻想的な背景と炎と煙に囲まれたメンバーというジャケットも素晴らしく、また収録曲のうち1曲は、デビューアルバムのオープニングを飾る13分を超える組曲”Movement for the Common Man“で、1曲目にプログレの大作を持ってくるあたり、並大抵の新人グループではない、大物になり得る期待が寄せられました。
そして、このアルバムからデビュー・シングル”Best Thing“がカットされました。アルバム”Styx”の全収録曲の大半は外部のソングライターに委ねられましたが、”Best Thing”はJYとDennisが創った楽曲です。また同アルバムからの”What Has Come Between Us”がB面に収録されました。
“Best Thing”はDennisとJYがパートに分かれてヴォーカルを担い、彼らとJCのバック・コーラスも美しいロックナンバーで、静と動が兼ね備わった素晴らしいプログレ・サウンドです。陽の当たった1972年9月16日にBillboard HOT100シングルチャートで93位に初登場し、その後93位→85位→84位と上昇、10月14日と21日の2週連続82位を記録し、後は圏外へ消えていきました。結果的には6週間のチャートインでした。一方アルバムはBillboard200アルバムチャートにはチャートインできませんでしたが、Billboardにはthe Bubbling Under chartという、ニューエントリー予備軍をランキングするチャートがあり、200位には入らなくも、207位に相当する記録でした。
アルバム”Styx”は大きなヒットには至りませんでしたが、これを糧に1973年7月リリースの次作”StyxⅡ(邦題:スティクスⅡ)”では、Johann Sebastian Bach(バッハ。1685-1750)の作品を取り上げた(“Little Fugue in G”。邦題:リトル・フーガ)以外は、すべてStyxのメンバーによるソングライティングで挑み、長尺の楽曲も2曲織り交ぜて、スケールの大きいロックを展開していくのでありました。

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