11月5日は何に陽(ひ)が当たったか?

1983年11月5日は、イギリスのプログレッシブ・ロック・グループ、Yes(イエス)のシングル、”Owner Of A Lonely Heart(邦題:ロンリー・ハート)”が、Billboard HOT100シングルチャートに62位でニュー・エントリーした日です。Yesにとって、これまでのキャリアでは見られないほどのチャート・アクションを見せ、Yes最大のヒット・ソングになりました。
1980年に制作された”Drama(邦題:ドラマ)”では、ヴォーカルのJon Anderson(ジョン・アンダーソン。vo)やRick Wakeman(リック・ウェイクマン。key)が参加せず、イギリスのニュー・ウェーヴ系ポップ・バンドとして人気のあったThe Buggles(バグルス)の二人、Trevor Horn(トレヴァー・ホーン。vo,bass)と Geoff Downes(ジェフ・ダウンズ。key)が加わったことで、これまでにないニュー・ウェーヴ寄りのYesサウンドが披露されましたが、長くは続かず活動停止に追い込まれました。
その後ギタリストのSteve Howe(スティーヴ・ハウ。gtr)とGeoffはAsia(エイジア)結成に向かいました。ベーシストのChris Squire(クリス・スクワイア。bass)とドラマーのAlan White(アラン・ホワイト。drums)は、Jimmy Page(ジミー・ペイジ)とXYZ(“ex-Yes and Zeppelin”の意味)なるトリオを結成する計画もありましたがこれは流れて、1982年1月、若いTrevor Rabin(トレヴァー・ラビン。vo,gtr,key)を迎え、さらにはYesのオリジナル・メンバーTony Kaye(トニー・ケイ。key)を呼び、4人編成のCinema(シネマ)をロサンゼルスで結成しました。
Jonはこの間ソロ・アルバム制作や、ギリシャのシンセサイザー奏者、Vangelis(ヴァンゲリス)とユニット、Jon and Vangelis(ジョン・アンド・ヴァンゲリス)の活動がありましたが、Chrisより呼びかけられてCinemaに参加することになり、結果Cinemaは1983年6月に活動を停止してグループ名をYesと改められ、Yesの復活が発せられました。新生YesはTrevor Hornのプロデュースによって制作されることになりましたが、ハモンド・オルガン専門のTonyは、Trevor Hornがサンプリングやシンセサイザーの導入に抵抗を示し、Yesのキーボード・サウンドがデジタル化されるのを嫌ったため制作には加わらず、Chrisの妻Nikkiがフロントをつとめるプログレッシブ・ロック・グループ、Esquire(エスクワイア)のキーボーディスト、Charles Olinsがキーボードを担当しました。結果的には制作中にTonyは脱退し、制作完了後に数々の著名なブリティッシュ・ロック・グループを渡り歩いたEddie Jobson(エディ・ジョブソン。key)を招聘して5人編成の状態は保ちましたが、クレジットはEddieではなくTonyでニュー・アルバムはリリースされました(直後にTonyは復帰、Eddieは離脱しました)。
レコード番号をアルバム・タイトルにし、スリーヴ・デザインもRoger DeanやHipgnosisといった凝った描写はなく、しかもRogerによるYesのロゴマークも刷新されて、1983年11月7日にニュー・アルバム、”90125(邦題:ロンリー・ハート)”はYesの11枚目のスタジオ作としてリリースされました。フェアライトCMIを利用したデジタル・サンプリング効果、ヘヴィーなギター・プレイ、Jon AndersonとTrevor Rabinのダブル・ヴォーカル、美しいコーラス、Yesにしてはどれも新鮮で、70年代のYesとはまるで別のグループにも取れた、見事な変身でした。音だけでなく、かつての哲学的で難解だった歌詞も一段と分かりやすくなり、耳に馴染みやすい楽曲が多く収録されました。そして、アルバムリリースからその2日前、つまり陽の当たった11月5日に先行シングルとして、”Owner Of A Lonely Heart(邦題:ロンリー・ハート)”がHOT100にエントリーしたのです。Yesのサウンドを心待ちにしていたリスナーは、その音の変化に驚いたことでしょう。
メンバーが動物に変身するこの曲のプロモーション・ビデオも斬新でした。個人的にはイントロ箇所にEddieが一瞬だけ出演するシーンや、一方で後半にビデオ主演している男性をYesのメンバーが追い込むシーンで、メンバーの中にTonyが見当たらないのも、それぞれある意味で印象的ではあります。ちなみにこのビデオの監督はHipgnosisのStorm Thorgersonが手掛けています。
“Owner Of A Lonely Heart”が62位でエントリーするのも、過去のYesでは珍しく、驚異のランクインではありました。そして翌週は45位、3週目で37位といっきにTop40入りを果たします。このあとも勢いは続いて、27位→14位と大きくジャンプアップを果たし、1972年4月15日にYesの最高ランクを記録した”Roundabout(邦題:ラウンドアバウト)”の13位は悠々と超えるどころか、上位をねらうアクションぶりでした。
その後11位にアップして堂々と記録を抜き、12月17日付で7位とYes初のTop10入りとなり、続いて年末年始の関係で4位を3週続けた後2位にランク、そして1984年1月21日付で1位に躍り出、2週続けてランクされました。その後は2位→4位→8位→19位と降下していきましたが、HOT100で23週、Top10内には10週間もチャート・インする大成功をおさめ、1984年のYear-Endチャートでは、100位中8位にランクされて、この年の代表曲になりました。
“Owner Of A Lonely Heart”はロック部門(メインストリームロックチャート。当時は Top Rock Tracks)では当然ながら1983年11月26日付で1位を4週記録しましたが、特筆すべきはダンス/ディスコチャートでもチャートインし、1984年1月21日付で3位を記録、ダンス部門でも大きな話題になりました。

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