12月5日は何に陽(ひ)が当たったか?

1970年12月5日は、アメリカのブラス・ロック・グループ、Chicago(シカゴ)のTop20入りシングル、”Does Anybody Really Know What Time It Is?(邦題:いったい現実を把握している者はいるだろうか?)”が5週目にして16位に上昇した日です。またこの曲は同日付のAdult Contemporaryチャート(当時はEasy Listening)で初のトップ10入りを果たした日でもあります。
Chicago Transit Authority(シカゴ・トリンジット・オーソリティ)の名義で1969年4月にデビューしたChicagoは、グループ名を冠した2枚組デビュー・アルバム”Chicago Transit Authority(邦題:シカゴの軌跡)”でデビューし、Billboard200アルバムチャートで1969年7月19日付と26日付の2週連続で最高位17位を記録し、新人グループとして上々のスタートを切りましたが、シングルではPeter Cetera(ピーター・セテラ。vo,bass)とRobert Lamm(ロバート・ラム。愛称は”ボビー”。vo,key)がヴォーカルをとる”Questions 67 and 68(邦題:クエスチョンズ67/68)”が選ばれたところ、1969年8月9日付Billboard HOT100シングルチャートで99位にエントリーし、翌週は78位、8月23日付で71位を記録しますが、8月30日付で圏外へ消えるという散々な結果に終わりました。セカンドシングルでは、Robert Lamm作の”Beginnings(邦題:ビギニングス)”が選ばれましたが、チャートインすらできませんでした。
ブラス・ロック・グループでは他にBlood, Sweat & Tears(ブラッド・スウェット&ティアーズ)が先にでており、アルバム・タイトルにバンド名を冠した2作目のアルバム”Blood, Sweat & Tears(邦題:血と汗と涙)”は、”Chicago Transit Authority”より先んじて1968年12月にリリースされ1969年3月末に1位を獲得、シングル”You’ve Made Me So Very Happy(邦題: ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー)”は同年4月12日付から3週2位を記録、”Spinning Wheel(邦題:スピニング・ホイール)”も7月5日付から同じく3週2位を記録、”And When I Die(邦題:アンド・ホエン・アイ・ダイ)”もまた11月29日付で2位と、3曲もTop3に送り込んでおり、Chicago Transit Authorityに大きく水をあけられる状況でした。しかもアルバム”Blood, Sweat & Tears”は、”Chicago Transit Authority”と同じ、James William Guercio(ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオ)のプロデュースでした。
さらにはCTA、つまりシカゴの交通局(Chicago Transit Authority)によって「Chicago Transit Authority」というバンド名にクレームをつけられ、バンド名を「Chicago」と改められることを余儀なくされました。結局デビュー作からは71位のシングル1曲を放ったのみで、仕切り直しでChicagoとしてのデビュー・アルバム”Chicago(Chicago IIとも。邦題:シカゴと23の誓い)”を前作同様、James William Guercioのプロデュースで1970年1月にリリースしたのです。
前作同様、2枚組の大作でしたが内容はより大衆傾向で聴きやすくなり、Billboard200アルバムチャートでは1970年5月23日付より2週連続最高位4位といっきに向上しました。シングルでは7部構成からなる組曲”Ballet for a Girl in Buchannon(邦題:バレエ・フォー・ザ・ブキャノン)”の中から、ファーストシングルとしてギタリストのTerry Kath(テリー・キャス。1946-78。gtr,vo)が歌う”Make Me Smile(邦題:ぼくらに微笑みを)”が同年6月6日付から2週連続9位、そしてPeter Ceteraがヴォーカルをとるセカンド・シングル”25 or 6 to 4(邦題:長い夜)”は1970年9月12日付4位を記録し人気を獲得、特に後者はChicagoの70年代の代表曲として知られています。
12週間チャートインした”25 or 6 to 4″は1970年10月17日付で圏外に消えましたが、Chicagoはヒットの流れを保つため、デビュー作”Chicago Transit Authority”からの曲をシングルとしてリリースすることを決めました。その第一弾が”Does Anybody Really Know What Time It Is?“です。
Robert Lammによって作られた”Does Anybody Really Know What Time It Is?”は、アルバムでは4分半の楽曲ですが、イントロのRobert Lammのピアノがそっくり削られるなど編集が施され、3分半弱のシングル・ヴァージョンでリリースされました(他にも3分弱のラジオ・ヴァージョンも存在します)。するとチャートにすぐさま反映され、1970年11月7日付で72位でエントリーし、翌週50位、3週目で37位、4週目で20位と大幅なジャンプアップでTop20に食い込んできました。当時のチャート・アクションは短い期間に激しい昇降がみられるのが特徴の一つでもありましたが、陽の当たった5週目である12月5日付で16位、翌週に9位に入って、3曲連続Top10入りを果たしたのです。その後8位→8位と続き、1971年1月2日付より2週7位を続け、これを最高位に下降していきました(17位→19位→24位→圏外)。13週のチャートインでしたが、年末年始のヒットであったため、集計期間の関係で1970年、71位年両年ともYear-Endチャートにはランクされませんでした。ただしカナダのRPMシングルチャートでは2位と健闘し、1970年カナダのYear-Endチャートで59位を記録しています。これによりデビュー作からもヒット曲が誕生したのです。
Chicagoにとって陽の当たった1970年12月5日はさらにもう一つあり、”Does Anybody Really Know What Time It Is?”が、初めてEasy Listeningチャートにチャートインし、7位と初めてTop10入りを果たした日でもあり、最高位は翌週の12月12日付と19日付の2週連続5位を記録しています。
これを機に”Chicago Transit Authority”からのシングル化を改めて仕切り直すことにし、当初シングルとしてリリースした当時はチャートに失敗した”Beginnings“を、2作目”Chicago”に収録された”Ballet for a Girl in Buchannon”を構成する内の1曲”Colour My World(邦題:ぼくらの世界をバラ色に)”と両A面扱いで再リリースすることになりました。するとこの曲は1971年6月26日付HOT100で83位にエントリーし、結果同年8月14日付HOT100で2週7位を記録、前回の失敗を見事に取り返しただけでなく、Easy Listeningチャートでは1971年8月28日付で初めての1位を獲得するという成果を成し遂げました。そしてデビュー・シングルだった”Questions 67 and 68″も、純粋に”Chicago Transit Authority”からの”I’m a Man(邦題:アイム・ア・マン。the Spencer Davis Groupのカバー)”をB面にして再リリースする挑戦を行い、71位で終わった前回に比べ、今回は1971年11月20日付HOT100で2週24位を記録するヒットとなりました。この結果、デビュー・アルバム”Chicago Transit Authority”はBillboard200アルバムチャートに171週チャートインする偉業を成し遂げ、アメリカでダブル・プラチナ・アルバムに認定、2014年にはGrammy Hall of Fame殿堂入りを果たしたのでした。

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