12月17日は何に陽(ひ)が当たったか?
1819年12月17日は、El Libertador(エル リベルタドール。解放者)と尊称されたシモン・ボリバル(1783-1830)が、大コロンビア共和国(1819-30)の大統領に就任した日です。
ヨーロッパのウィーン体制が確立されたことで、かつてナポレオン(1769-1821)が発令した大陸封鎖によって、ヨーロッパ本国、特にスペインやポルトガルとの連絡が絶えたことで、自立化が促進されたラテン・アメリカ(メキシコ以南の中南米)は、大陸の先住民(インディオ)、植民地生まれの白色人種(クリオーリョ)、先住民と白人の混血(メスティーソ)、白人と黒人の混血(ムラート)、奴隷貿易で大陸を渡ってきたアフリカ出身の黒色人種といった住民構成でした。
ブラジルはポルトガル領でしたが、それ以外のほとんどのラテン・アメリカ諸国はスペインの海外領土でした。スペイン領植民地では、本国から派遣され特権を付与された特定の官僚や商人が(彼らは”ガチュピン”と呼ばれました)、実権を掌握してクリオーリョらを搾取しました。元来ラテン・アメリカ諸国は本国からの圧政に不満を持っており、1804年カリブ海エスパニョラ島にある、フランス領だったハイチが、強力化していくナポレオン支配を振り切って独立したことで、各ラテン・アメリカ諸国の独立熱は次第に高まり、また1808年にスペインがナポレオンの支配下におかれたため、独立運動はさらに急加速し始めました。こうした中で、フランシスコ・ミランダ(1756-1816)とシモン・ボリバルによる出身地ベネズエラでの独立宣言を皮切りに、各地で次々と独立国が誕生していきました。
ボリバルは、クリオーリョを支持基盤とし、奴隷解放宣言によってメスティーソやムラートらの支持を加えて運動規模を拡大し、ベネズエラ(1811)、コロンビア(1819)、ボリビア(1825。”ボリバル”に由来)を解放・独立させました。
ボリバルはコロンビアをスペインから解放したあと、ベネズエラやエクアドル、パナマを含む大コロンビア共和国を樹立して、陽の当たった1819年12月17日に大統領に就任しました(大統領任1819-30)。
1825年のボリビア独立においても大統領に就任(任1825)しますが、のちに大コロンビアからベネズエラやエクアドルが分離独立へと進んでいき、大コロンビア構想は瓦解、失意の内にシモン・ボリバルは大統領を辞任、引退し、1830年、コロンビアのサンタ・マルタ近郊で没しました。奇しくも、陽の当たった大コロンビア共和国大統領に就任した、12月17日が命日となりました。
参考文献『世界史の目 第73話』より
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