12月19日は何に陽(ひ)が当たったか?
1154年12月19日は、イングランド・プランタジネット朝(1154-1399)の創始者、ヘンリ2世(ヘンリー2世。位1154-89)が即位し戴冠した日です。
1066年ノルマンディー公国(911-1259)によるノルマン・コンクェスト以降でのノルマン朝(1066-1154)は、イングランドでは国王であり、ノルマンディーではフランス王の臣下という立場でした。ノルマンディー公は西フランク王国(843-987)の封建臣下であったが、ほとんど形式のみで、実質は自立傾向にありました。西フランク王国も987年、カロリング王統が絶え、パリ伯のユーグ・カペー(位987-996)によってカペー朝(987-1328)がおこされ、パリを首都にフランス王国が誕生した頃には、その臣下のノルマンディー公国は、フランス王権の弱さにつけ込み、フランス王の統制を無視することも多くなっておりました。その後、ノルマン朝の3代目国王ヘンリ1世(位1100-1135)は、内政改革によって諸侯の支持を獲得、王権を強化し、イングランドにおけるノルマンディー公国併合を実現させました。
その後、ヘンリ1世の娘マティルダ(1105-1167)は、フランス西部のアンジュー家から出たジョフロワ(アンジュー伯位1129-1151。ノルマンディー公位1144-1150)と結婚、さらに子アンリ(1133-89)は、母マティルダからイングランドとノルマンディーを、父ジョフロワから大陸のアンジュー伯領を相続、そして1150年にノルマンディー公となり(位1150-1189)、4代目国王スティーヴン(位1135-54)のあと、陽の当たった1154年12月19日にイングランド王を継ぎ(王位1154-1189)、ヘンリ2世としてプランタジネット朝を開いたのです(1154-1399)。
その後プランタジネット朝のヘンリ2世は、フランスの西半分に相当する広大な所領を持ち、アンジュー帝国とも呼ばれる大国を実現しました。イギリス国内ではフランス国王と対等の王としつつ、フランス臣下のアンジュー伯という複雑な立場でした。こうした複雑な英仏情勢であるがために、カペー朝に始まり、その後ヴァロワ朝(1328-1589)、ブルボン朝(1589-1792,1814-30)へと続くフランス王国と、ノルマン朝に始まり、その後プランタジネット朝、テューダー朝(1485-1603)と続くイングランド王国との関係は次第に深くもつれていき、領土や王位などの継承抗争に巻き込まれ、これが百年戦争(1339-1453)や植民地戦争といった発展形を出現させていくのでした。ノルマン・コンクェストによって変化した西欧世界は、これから長く続く英仏対立を中心として、新たな国際関係の歴史が繰り広げられることになるのです。
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