12月26日は何に陽(ひ)が当たったか?
1530年12月26日は、北インドにあったムガル帝国(1526-1858)の初代君主、バーブル(1483-1530)の没年月日です。
パンジャーブ地方で勢力を上げていたアフガン系のロディー族が、デリーにて政権樹立を叫び、その中心人物であったバフロール(バハロール=ロディ。?-1489)がサイイド朝滅亡を機にスルタンに即位(位1451-89)、アフガン系初のデリー・スルタン政権・ロディー朝(1451-1526)が誕生します。ロディ朝はデリー南郊にアグラを建設、アグラは発展していきますが、1519年以降、カーブル(現アフガニスタンの首都)を拠点とし、ティムール帝国(1370-1507)の復活を掲げていたバーブルの軍隊による、度重なる侵攻に悩まされました。バーブルはティムール帝国の創始者ティムール(1336-1405)の5代目の直系子孫だといわれております。
1526年ロディ朝率いる10万の象軍と、少ないながらも鉄砲を活用したバーブルの騎馬隊がデリー北のパーニーパットで激突、激戦がおこなわれました(パーニーパットの戦い)。果敢に攻めるバーブルの軍隊によって、ロディ朝軍は次々と倒されました。同年、デリーとアグラは占領され、遂にロディー朝は滅亡しました。その後バーブルは自身の国、ムガル帝国を創設し、北インド支配の基礎を築いていくことになるのです。
バーブルは自伝『バーブル・ナーマ』をトルコ語で著すなど、軍事・行政のみならず、文筆業にも長けておりました。しかし1530年12月26日、病気のためアグラで没し、長子のフマーユーン(1508-56)が後を継いだのでした。
参考文献『世界史の目』より
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