2月10日は何に陽(ひ)が当たったか?
1763年2月10日は、イギリス、フランス、スペイン間でパリ条約が締結された日です。
1757年6月、インドではカルカッタ北方で英仏間によるプラッシーの戦い(1757)が勃発しました。この戦争ではイギリス東インド会社に従事していたベンガル知事クライヴ(1725-74)の活躍で早速とイギリスの戦勝が決まりました。またイギリスは新大陸でのフレンチ・インディアン戦争でも1759年、フランスの北米植民地経営の中心であるケベック(現カナダ。セント=ローレンス川中流)を占領し、フランスを圧倒しました。こうして、欧州外の占領地はイギリスが優勢に動きました。
1756年からヨーロッパでは七年戦争がイギリス、プロイセンの軍とフランス、ロシア、オーストリア、スペインの軍との間で起こっていましたが、1763年に停戦となりました。
1763年2月10日、停戦交渉として、イギリス、スペイン、フランス間でパリ条約が結ばれました。新大陸、インド大陸ではイギリスが勝利を収め、植民地戦争はイギリスが優位に立ちました。結果、フランス領だったカナダ、ミシシッピ以東のルイジアナをはじめ、アフリカでのフランス領だったセネガルはすべてイギリス領となりました(セネガルは1783年フランス領に戻る。ミシシッピ以東のルイジアナも1783年のパリ条約で、アメリカへ割譲)。またフランス領ミシシッピ以西のルイジアナはスペイン領となり、スペイン領フロリダはイギリス領となりました。インドでは、フランス領は若干の商業都市を除いて、すべての植民地を放棄しました。優位に立ったイギリスは、その後植民地経営を本格化していきますが、植民地には高圧的な政策を強行し、インドのムガル帝国(1526-1858)ではシパーヒーの反乱(1857)、新大陸ではアメリカ独立革命(1775-83)を招くことになります。
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