3月12日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1930年3月12日は、イギリス統治下のインドにおいて、マハトマ・ガンディー(1869-1948)とその支持者たちによる”塩の行進(Dandi Satyagraha)”が始まった日です。
 ガンディーとその支持者たちは、製塩禁止法により生活必需品の塩を専売にして重税をかけているイギリスに対して、非暴力・不服従運動を再開しました(第2次非暴力・不服従運動。1930-34)。80人の支持者を連れたガンディーはインド西部のアフマダーバードにある自身のアシュラム(学校)を出発し、ボンベイ近くのダンディの海岸まで約360kmを、陽の当たった1930年3月12日から4月6日までの4週間近く徒歩で行進したのです。これが「塩の行進」による抗議です。海岸到着後、数千人に拡大した行進の一団は、海岸の塩を作る作業を行いました。この塩が専売制を無視してインド各地で販売されていったのです。
 イギリス政府は、インドのこうした抵抗運動の抑止と、今後のインドについて論議を行うため、ロンドンに英印円卓会議を召集しました(1回目1930.11-31.1。2回目1931.9-12。3回目1932.11-12)。インドからも指導者や政治勢力を招き入れました。国民会議派(反英精神からくる民族独立を主張)では2回目のみガンディーらが運動を中断して参加しましたが、1,3回目はボイコットしました。インドの自治や、憲法作成などの議題に挙げるなどしましたが、結局イギリスの譲歩もなく、インド側にとっては手応えがないままに終わりました。イギリスにとっては、落胆に変わった国民会議派の運動が縮小したことで、次の手順にふみきることができました。これが、1935年に制定した改正インド統治法(新インド統治法)です。
 改正インド統治法は、インドの各州に責任自治制を導入し、イギリス領内におけるインドの連邦制を確立した内容でした。しかし外交や軍事はイギリスが管理するため、完全独立・完全自治を要求するインドの願いはかなえずじまいとなりました。イギリスからの独立は、第二次世界大戦終戦後、1947年8月まで待たねばならなかったのです。

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