3月14日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1927年3月14日は、第一次若槻禮次郎内閣(わかつきれいじろう。1926.1.30-1927.4.20)で大蔵大臣を務めた片岡直温(かたおかなおはる。1859-1934)氏が、衆議院予算委員会において重大な発言をした日です。
 第一次世界大戦(1914-18)によってもたらされた大戦景気(大正バブル)は、大戦の終結とともに終わりを告げ、それまで過剰な生産を続けた反動から1920年頃より戦後恐慌に転じ、輸入超過によりこれまで好調を維持していた綿糸や生糸などの糸産業も半値以下に暴落して、企業や銀行は不良債権を抱えることになりました。
 さらに追い打ちをかけるかのごとく、1923年9月1日に関東大震災が発生し、政府は震災手形割引損失補償令を公布しました。これにより決済不能の手形を日本銀行が補填する形になりましたが、結果的に震災手形も上手く機能しないまま不良債権化がすすみ、金融不安が続いていた状態でした。
 こうした中で、1927年3月14日の衆院予算委において、片岡蔵相は、当時の東京渡辺銀行を名指しして、「東京渡辺銀行がとうとう破綻をいたしました」と失言してしまったのです。実際は破綻していなかったにもかかわらず、この失言で金融不安は顕在化し、多くの中小銀行で取り付け騒ぎが発生しました。
 また当時、神戸市にあった商社、鈴木商店は、台湾銀行(日本統治時代の台湾で発足した商業銀行)によるばく大な貸出で、大戦景気時代に絶頂期をうみました。しかしその後の戦後恐慌と震災恐慌で打撃を被り、震災手形による損失補填を行いながら何とか乗り越えましたが、結果的にこの失言の影響で台湾銀行が鈴木商店への融資を打ち切ったことで、資金調達ができなくなった鈴木商店は4月に事業停止に追い込まれ、台湾銀行も休業を余儀なくされました。この影響により、東京渡辺銀行をはじめ、多くの銀行が休業に追い込まれました。
 失言によってもたらされた金融不安は大きな経済打撃となり、昭和金融恐慌と呼ばれる大不況に陥ることになったのです。政府は支払猶予令(モラトリアム)施行で金融機関の再建に取りかかりました。

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