10月15日は何に陽(ひ)が当たったか?
961年10月15日は、イベリア半島アンダルスのスンナ派イスラム王朝、後ウマイヤ朝(756-1031)の君主で、後ウマイヤ朝で初のカリフに即位した、アブド・アッラフマーン3世(889?/891?-961)の没年月日です。イベリア・イスラム世界の初のカリフとしてその名を轟かせ、後ウマイヤ朝の全盛期を現出した名君です。
祖父であり、第7代アミール(後ウマイヤ朝の君主号で、”総督”や”首長”の意味もある)のアブド・アッラーフ(アミール位888-912)が912年に没し、孫のアブド・アッラフマーン3世が若年でアミールに即位しました(アミール位912-929)。若さゆえに国家における派閥問題や民族問題における対策に苦労し、また国外でもイベリア半島におけるキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復)運動や北アフリカのファーティマ朝(909-1171)の強勢など、難題を抱えますが、支持者を集めてこれらへの対策を積極的に行い、また敵対勢力を撃退するなど功を上げる手腕を見せて、国内外ともに統率して国家安定に導きました。
当時アッバース朝(750-1258)に存した最高権威を示すカリフをファーティマ朝も用いていましたが、国家が安定したことを受けて、アブド・アッラフマーン3世は929年、アッバース朝やファーティマ朝と並ぶ地位を西方にも築く必要から、後ウマイヤ朝カリフとして即位することになります(後ウマイヤ朝のカリフ位929-961)。これによりイスラーム世界では、後ウマイヤ朝君主を西カリフ、ファーティマ朝君主を中カリフ、アッバース朝君主を東カリフとする、カリフ鼎立時代に突入することになりました。
アブド・アッラフマーン3世は959年にイベリア半島の全域と北アフリカ方面を掌握するにいたり、国力増強策として、国内の農商工業を発展させて経済を活性化させ、軍事面でも増強をはかって充実させました。文化面では、首都コルドバにある宮殿の離宮として、ザフラー宮殿(“ザフラー”はアラビア語で”花”の意味。映像はこちら。wikipediaより)の建造を、息子で補佐役のハカム2世(915-976)とともに奨励、またイスラーム文化とキリスト教文化を融合させてこれを保護していきました。結果、首都コルドバは人口30万に達して国際都市の仲間入りを果たし、王朝の全盛期を現出したのです。
961年10月15日、アブド・アッラフマーン3世は73歳(71歳?)で没し、初代カリフの地位を全うしました。その後、子のハカム2世が後ウマイヤ朝カリフを継いで(位961-976)、父同様の文化保護に取り組み、971年に35年かけて建造に努めた、ザフラー宮殿の完成をみたのです。
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