5月4日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1919年5月4日は、中国(当時は中華民国)で五・四運動がおこされた日です。
 第一次世界大戦中の1915年1月、当時の中華民国の総統をつとめていた袁世凱(えんせいがい)は日本の大隈重信政権より二十一ヶ条の要求を突きつけられました。その内容というのは、(日本にとって当時大戦敵国である)ドイツが所有する山東省の権益を日本が所有する、遼東半島の旅順・大連の租借期間および満州鉄道の利権所有期間を延長する、本土の鉄道敷設権や製鉄会社を日本に譲るなどの屈辱的な内容でした。日本の帝国主義政策の一環であり、袁世凱政権はこれを避けられず、要求を受諾してしまいました。
 1918年、第一次世界大戦が終了し、翌年、パリで講和会議が開かれました。この会議によって、敗戦国ドイツはすべての植民地を失い、多額の賠償金が発生することになり、ベルサイユ条約の調印を迫りました。また敗戦国ドイツが支配していた山東省の権益を、戦勝国の日本が得ることを、米英仏ら戦勝した列国によって承認されたことに中国の国民は不満を増大させます。折しも3月には朝鮮半島で日本からの独立を求める三・一運動が勃発したこともあり、中国でも北京の学生ら愛国者団体を中心にデモ運動が起こりました。これが5月4日に起こった五・四運動です。
 運動は拡大し、日本の山東省権益受諾反対、ベルサイユ条約調印拒否、反帝国主義、反軍閥、反封建体制、そして反日を掲げていきます。労働者らによるゼネラル・ストライキも敢行されました。国内の政治家も襲撃されるなどの被害も出ました。
 事態収拾に当たった中国政府は、結局6月末に条約調印拒否を声明することになりました。

◆◆五・四運動の虚像と実像 一九一九年五月四日 北京 / 斎藤道彦/著 / 中央大学出版部

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