6月22日は何に陽(ひ)が当たったか?

1815年6月22日は、フランスの皇帝ナポレオン1世(帝位1804-14,15)が、帝位の座から完全に退いたとされる日です。百日天下と呼ばれた復活劇が終幕となりました。
1812年のロシア遠征の失敗や対仏大同盟を相手に戦った解放戦争(ライプチヒ戦など)の敗北により、1814年4月11日に皇帝の座を降りたナポレオンは、イタリア北西岸のエルバ島へ流されました。フランス国内では、ブルボン朝(1589-1792,1814-30)の王政復古が行われ、ルイ18世(1814-15,15-24)が即位しました。しかしフランス革命、ナポレオン時代と渡り抜いたおよそ25年の歳月をフランス国民からしてみると、旧体制に戻りそうな反動政治が待っているとの不安も高まりました。
不安は的中し、ナポレオン退位からおよそ5ヶ月経った1814年9月1日に、ヨーロッパをフランス革命前に戻そうとする大国際会議がウィーンで開催されました。有名なウィーン会議です。フランス代表として、ナポレオンに反発して外務大臣を退任したタレーラン・ペリゴール(1754-1838)が出席しました。会議は案の定、”会議は踊る、されど進まず”状態の、各国の利権のぶつかり合いが続き、なかなか進みませんでした。
フランス国民の政情不安が高まりつつある中、翌1815年2月26日、ナポレオンは隙を突いてエルバ島を脱出します。3月に上陸したナポレオンはルイ18世をベルギー・ヘントへの亡命に送り込み、1815年3月20日にパリへ入城、再び帝位に就きました。危機感が募ったウィーン会議では、6月9日にウィーン議定書を発表して閉幕、ヨーロッパはウィーン体制に入ります。そして対仏大同盟が再結成され、イギリス軍、オランダ軍、プロイセン軍らをベルギー方面へ差し向けました。
ナポレオン軍はまずプロイセン軍と6月16日にベルギーのリニーで一戦を交えます。ナポレオン軍はそこでプロイセン軍をやぶり、勝利を収めました。そして2日後に同じベルギーでイギリス軍、オランダ軍と決戦相見えることになります。この6月18日の戦いは、ベルギー中部のワーテルロー近郊で行われました。世に言う、ワーテルローの戦いです。イギリス・オランダ軍を率いていたのは、イギリスの初代ウェリントン公爵(爵位1814-52)で、数々の軍功を残した名将アーサー・ウェルズリー(1769-1852)でありました。リニーで敗戦したプロイセン軍の再編も早く終わり、すぐさまワーテルローに駆けつけました。結果、この決戦では7万の軍勢を従えたナポレオン軍に対し、ウェリントン公爵が率いる対仏大同盟軍は12万(15万説もあり)の軍勢で挑む形となったのです。甚大な被害を両軍ともに受けた戦闘でしたが、結果はナポレオン軍の惨敗に終わり、1815年6月22日に再び帝位を追われることになりました。こうした、ナポレオンが再び帝位に就いていた期間を百日天下と言います。直後に息子のナポレオン2世(1811-32)が即位しますがすぐさま退位(帝位1815.6.22-15.7.7)、翌7月8日にルイ18世が復古王政を再開しました。
退位したナポレオンは南太西洋のセント・ヘレナ島に流され(外部リンクwikipediaより)、1821年5月5日に同島で没し、ナポレオンの激動の人生は幕を閉じました。
参考文献:『世界史の目

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