8月22日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1485年8月22日は、イングランドのヘンリー・テューダー(1457-1509)が新しいイングランド王となり、30年続いた内乱を終結してテューダー朝(1485-1603)をおこした日です。
 ヘンリーが生まれた1457年は、イングランドで大きな内乱が始まっていました。時のイングランドはランカスター朝(1399-1461,70-71)でしたが、百年戦争(1399-1453)でフランスに敗北を喫し、ランカスター朝国王ヘンリー6世(王位1422-61,70-71)の権力弱体は避けられず、かつてのイングランド王朝、プランタジネット朝(1154-1399)の血をひくヨーク公が王位継承をうったえ、ランカスター家とヨーク家が王位の座を巡って争っていたのです。時のヨーク公はリチャード・プランタジネット(公位1415-60)という人物で、ヘンリー6世が精神を患いはじめた1453年頃から国王に代わって政務を執っていた人物です。1455年にヘンリー6世が政務に復帰したところでヨーク公リチャードとの間に完全な亀裂が入り、武力解決にふみきり内乱が勃発しました。ヨーク公リチャードは1460年に戦没、子のエドワード(1442-83)が戦い抜いて翌1461年ヘンリー6世を退位させてランカスター家を陥れ、エドワード4世(位1461-70,71-83)としてヨーク朝(1461-85)をおこしました。
 ヨーク朝開始後、順調に統治が進むかと思いましたが、エドワード4世の結婚問題でヨーク家に内紛が起こり、ヘンリー6世の王妃マーガレット(1429-82)の主導で、ヨーク派に仕えた諸侯を動かして、エドワード4世を追放、ランカスター朝ヘンリー6世が一時復位しました(1470-71)。しかしランカスター派の勢力はこの時すでに衰えており、翌1471年、エドワード4世の弟で、同じプランタジネット朝の血をひくグロスター公リチャード(1452-85)らの協力を得たエドワード4世は、勢力を盛り返して、ヘンリー6世と王妃マーガレット妃をロンドン塔に幽閉し、その後ヘンリー6世は没しました(1471)。
 ランカスター派の勢力を一掃したエドワード4世には、王太子エドワード(1470-83?)とその弟リチャード(1472-83?)といった2人の子がおり、エドワード4世の次期王位を、エドワード王太子に与えるつもりでいました。1483年にエドワード4世が病没すると、王太子エドワードはエドワード5世として王位に就き(位1483)、エドワード4世の弟グロスター公リチャード(つまりエドワード4世の2子であるエドワードとリチャードの叔父)が摂政となりました。
 そこでグロスター公リチャードは、エドワード4世妃の外戚勢力が台頭してきた状況から、ヨーク公と対立、ヨーク朝の王位継承を企て、ロンドン塔にて幼いエドワード5世とその弟リチャードを幽閉、同1483年2人を殺害したとされています。グロスター公リチャードは、リチャード3世としてヨーク朝の王位に就き、専制政治を目論みました(位1483-85)。ヨーク家の内紛で、リチャード3世による一連の行動は国民を不安に陥れ、いっきに支持を失ってしまいました。
 一方で破綻したランカスター派では、傍流のリッチモンド伯がヘンリ6世の死後、ランカスター派の長となっていました。それが冒頭に出たヘンリー・テューダーです。ヘンリー・テューダーは、これまでフランスのブルターニュに亡命していましたが、ヨーク家の内紛を機に、民衆の支持を得て決起し、リチャード3世に戦いを挑んでイギリスに上陸したのです。陽の当たった1485年8月22日、バーミンガム北東のボズワースが戦場となり、リチャード3世はヘンリー・テューダーに敗れて戦死し、ヨーク朝は遂に断絶しました(ボズワースの戦い)。リチャード3世の遺体は馬に乗せられて、ボズワース近くのレスターで曝されました。これにて30年に及ぶ英国中世史に残る大規模な内戦は、遂に終結したのです。
 ヘンリー・テューダーは、ヘンリー7世としてイングランド王国の王位に就き(位1485-1509)、新しくテューダー朝をおこしました(1485-1603)。そして、エドワード4世の王女エリザベス(1465-1503)と結婚してヨーク家とランカスター家は合体(1486)、王家の統一が実現することになりました。ヘンリ7世は、両家和解の象徴として、ランカスター派には赤ばらの紋章を、ヨーク派には白ばらの紋章をそれぞれ採用、さらにテューダー朝開基後は、赤と白を混ぜたばら(テュードル・ローズ)を紋章として採用しました。これは現在イギリスの国花となっています。のちに国王がエリザベス1世(位1558-1603)の治世となって、劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)が、百年戦争後に起こった30年間の内紛を「リチャード2世」「ヘンリー6世」「リチャード3世」として劇化(1590-95)、紅白のばらの激突を描いて、高い評価を得ました。この作品の影響で、1455年から30年におよんだ内紛は、後世になって「ばら戦争」と名付けられたといわれていますが、近年の学説では、ランカスター家の赤ばらの紋章は実在しなかったともいわれており、シェークスピアの劇に登場した紅白の合戦は史実に基づかない、創作だったとする見方も出てきています。ちなみに「ばら戦争」の英語表記は「Wars of the Roses」ですが、”Wars”と複数表記になっているのは、両家の内紛が幾次にも渡って繰り広げられたことに起因しています。
 ヘンリー7世の掲げるテューダー朝政権では、政権を国王に集中させることにつとめました。貨幣や度量衡を統一し、課税を強化させることで財政を安定させ、また没落貴族の所領を没収して王領を拡大させ、司法面においても国王大権を全面的に押し出した、星室庁裁判所(ウェストミンスター宮殿の”星の間”と呼ばれる所。天井に星印がある)を設置して、政敵をねじ伏せていきました。このようにしてヘンリー7世は、国王中心のイギリス絶対主義王政の基盤を築いていくのでした。
引用文献『世界史の目 第59話

薔薇戦争―シェイクスピア・『ヘンリ六世』『リチャード三世』に拠る

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