10月29日は何に陽(ひ)が当たったか?

1923年10月29日は、トルコ共和国の建国年月日です。
第一次世界大戦(1914-18)に敗戦を喫したオスマン帝国(オスマン=トルコ。1299-1922)は、領有するアラブ地域を連合軍に占領されて、国土は小アジア全域(アナトリア)と東トラキア地方(バルカン半島東部。ルメリアの一部)を削り取られてしまいました。1918年11月にはイギリス・フランス・イタリア・アメリカの連合軍がアナトリア南部に上陸して占領、さらには1919年5月、戦勝国ギリシアによってギリシア人が多く住む港市イズミル(アナトリア西海岸。旧称スミルナ。”エーゲ海の真珠”)に進軍、占領されました(ギリシア=トルコ戦争。希土戦争。1919-22)。
イズミル占領までのオスマン帝国の首都イスタンブルに置かれた当時の政府は、第一次世界大戦(1914-18)の敗戦により崩壊寸前であり、帝国のスルタン、メフメト6世(位1918-22)は専制君主政の機会と判断して、連合軍による国土占領を依存的に認めて地位確保に専念しようとしました。しかし前に述べた、その後のイズミル占領によって、アナトリア回復・祖国解放・反帝国主義思想といった反政府の抵抗勢力がトルコ人の間で起こり、”アナドル・ルメリ権利擁護団(アナトリア・ルメリア権利擁護委員会)”が結成されました。これを組織したのはムスタファ・ケマル(1881-1938)という人物です。
ムスタファ・ケマルは、1901年に士官学校を卒業し、1905年に入官しましたが、この時代はスルタン、アブデュルハミト2世(位1876-1909。その専政ぶりは”流血のスルタン”の異名を取る)の治世で、スルタンの専政に不満を抱き、当時反スルタン派の青年トルコ党(進歩と統一委員会)に入党(1907)、1908年の青年トルコ革命(ミドハト憲法復活とアブデュルハミト2世廃位)を経験しました。第一次大戦中の1915年、軍司令官のケマルは連合軍のイスタンブルへの航路の停泊地であるガリポリ半島(ゲリボル半島。ダーダネルス海峡西方)への上陸(ガリポリ上陸作戦)をくい止めて軍功をあげ、翌年准将に昇進、ケマル・パシャの呼び名で知られるようになり、人脈を拡大させました。敗戦後もメフメト6世はケマルを軍監察官に任命したが、ケマルはこれを利用して反政府側に立ち、1919年5月、黒海沿岸のサムスン(サムソン)に上陸、やがてエルズルム(東アナトリア地方)やスィヴァス(中央アナトリア地方)で会議が開催され、”アナドル・ルメリ権利擁護団”結集に至ります。1920年1月には「国民盟約(国民誓約)」がケマルによって取り入れられて、トルコの国土保全・領土分割反対・敗戦による賠償金支払拒否を主張しました。また国家・国民に対しては後回しで、連合国にすがって帝国君主の地位、ならびにスルタン制度を守ろうとするオスマン家に対しても反感があり、徹底して帝国政府に反抗していました。
オスマン帝国政府は、ケマル側に対して懐柔策を施して、前年末に帝国議会を解散・総選挙を行いましたが、その結果、国民の支持は権利擁護団へ集中しました。これにより帝国議会は1920年1月、「国民盟約」を採択することになります。しかし3月、これに不安を感じた連合軍は帝都イスタンブルを占領して、4月に議会は解散を余儀なくされて、オスマン帝国は壊滅状態となりました。イスタンブルを脱した90名近い帝国議会の議員たちは、トルコ復活を信じてアンカラ(現トルコの首都)に結集、権利擁護団の党員と合流しました。そして同4月23日、アンカラにて抵抗政権樹立を目指した大国民議会(トルコ大国民議会)が開かれ、ケマルは議長に選ばれてついに臨時政府が立ち上がりました(1920.4.23)。これにより、オスマン帝国はメフメト6世中心のイスタンブル政権と、ケマル・パシャ中心のアンカラ政権の二重権力状態となりました。
1920年8月10日、第一次大戦後の講和条約が連合国とオスマン帝国(メフメト6世)間で締結された(セーブル条約)。この条約によってトルコ人は帝国の大半の領土を失うことになるだけでなく、財政決定権を連合軍が管理することや、軍縮、治外法権などが決まるといった亡国的屈辱を味わうのでした。中でも、かつてのヨーロッパ争奪の的であり、オスマン帝国にとっても重要地域だったボスフォラス・ダーダネルス両海峡も開放され、さらにアラブ地域は委任統治となりました。
この条約を締結したメフメト6世のオスマン帝国政府(イスタンブル)に対し、ケマル・パシャの大国民議会政権(アンカラ)は「国民盟約」の違反とセーヴル条約批准拒否を主張し、政権樹立後から行われてきた祖国解放運動を活発化させました。依然として連合軍にすがりつくメフメト6世に対し、愛国心高揚を謳うケマル・パシャの精神はトルコ全土に拡がり、イズミル占領後アンカラにも迫ったギリシア軍を敗退させて(1921)、これまで希土戦争において劣勢だったトルコ軍は同年8月、サカリヤ川(アナトリア西北部。マルマラ地方)の戦闘でギリシア軍を敗退後優勢に転じ、1922年9月、遂にイズミル奪還に成功(ケマルの有名な指令、”目標は地中海、前進せよ“はここで生まれます)、ケマルの率いるトルコ大国民議会軍がギリシア軍に勝利しました。結果、連合国側は、トルコに対して、セーヴル条約を改定した新条約を結ぶ交渉を始める通告を発表しました。このとき連合国側はメフメト6世のオスマン帝国だけでなく、ケマル・パシャ政権も講和会議に招請しました。
ついに連合国を動かしたケマル・パシャは、条約改正を機に、トルコの二重政権の統一に動きました。すでに国家君主の機能を失ったオスマン家のスルタンがムハンマド(570頃-632)の代理権機能を持つカリフを兼ねる(スルタン・カリフ制)必要はあるのか、またスルタンはイスラム支配の最高地位・教権保持者であるのに、オスマン家のスルタンそのものが該当するかといった疑問を抱いていたケマルは、1922年11月1日、スルタンとカリフの地位を分離させると共に、スルタン制を廃止しました。これにてメフメト6世は廃位されてマルタに亡命、620年余続いたオスマン帝国は名実共に滅亡するに至りました(オスマン帝国滅亡)。

1923年、セーヴル条約の改定会議がスイスのローザンヌで7ヶ月かけて行われて、7月23日、英仏を中陰とする連合国を相手にローザンヌ条約が結ばれました。これによりアナトリア、東トラキアの確保が実現するといったトルコの国境が画定、賠償の減額、治外法権撤廃、関税自主権回復、希土間の住民交換(複数国家間での住民の強制入替。トルコからは100万におよぶギリシャ正教徒がギリシャへ流れ、ギリシャからは50万人のイスラム教徒がトルコへ流れる)などが決められ、ついにトルコは主権を回復しました。トルコの祖国解放は一応の終結を見ました。
このケマル・パシャによるスルタン制から共和制への移行を実施するに伴い、1923年4月に権利擁護団を政党化して国民党(トルコ国民党人民党)とし、同党は総選挙で圧倒的多数の支持に立ちました。そして、陽の当たった1923年10月29日共和制の宣言を行い、アンカラを首都とする、トルコ民族のトルコ共和国が誕生しました。そしてケマル・パシャはトルコ共和国の初代大統領に就任することになりました(任1923.10.29-1938.11.10)。
ケマル・パシャはトルコの脱イスラム化と西欧化・近代化の推進を目指し、様々な改革を施しました。まず1924年3月3日、カリフ制廃止を可決させて完全な政教分離を行いました。また1924年に制定されたトルコ共和国憲法では主権在民・一院制議会・大統領任期(4年)といった西欧化が施され、トルコ国民党(人民党)は同年11月共和人民党と改称、また政教分離の一環としてシャリーア(イスラム法)の廃止、マドラサ(高等教育機関)の閉鎖、ワクフ(ムスリムで行われる財産寄進。モスクなど施設を維持するために教徒が土地財産などを寄進すること)管理者の免官、イスラム法廷の廃止などが行われました(イスラム教を国教とする条項は4年後の1928年に削除)。
またケマル大統領は民法改正(新市民法)に伴う一夫多妻制度の禁止(1925年以降)を行いました。これにより女性解放が促進され、婦人参政権などが求められた(1934年実施)。服装ではヒジャブ(ブルカやチャドルなどと同様、女性のヴェールの一種)が好ましくない着用とされる一方で、男子服装ではフェズ(トルコ帽。つばのない円筒形の帽子)の着用は全面禁止(1925)となりました。
トルコの世俗化対策はこれだけにとどまらず、マドラサ閉鎖後にアラビア文字の廃止とラテン文字(ローマ字)の採用が定められて(1928。文字改革)、生活面ではヒジュラ暦(イスラム暦)をグレゴリオ暦に改正しました。
1932年には国際連盟加盟が実現し、トルコは国際的にも認められました。こうしたケマル大統領が施したさまざまな改革の成功によってケマルの英雄化・神格化が促されていきました。1934年に姓氏制度(創姓法)を導入してトルコ人の姓が義務づけられると同時に、建国の英雄であるムスタファ・ケマルに「アタテュルク(=父なるトルコ人)」の姓を贈ることが大国民議会で議決されました。こうしてケマル・パシャは「ケマル・アタテュルク」としてトルコ国民に崇められたのでした。
引用文献『世界史の目 第150話』より

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