12月14日は何に陽(ひ)が当たったか?
1985年12月14日は、Artists United Against Apartheid(アパルトヘイトに反対するアーチストたち)によるチャリティ・シングル”Sun City(邦題:サン・シティ)”が、Billboard HOT100シングルチャートで最高位38位を記録した日です
1948年から南アフリカでしかれていた人種隔離体制、いわゆるアパルトヘイト政策への問題提起を投げかけたアーチスト達が結集して、アルバム”Sun City(邦題:サン・シティ)”を制作、1985年12月7日にリリースされ、このアルバムからのタイトル・トラックがシングルとしてリリースされました。
アパルトヘイトが敷かれていた、南アフリカの白人専用の高級リゾート地であるサン・シティは、南アフリカの北西部、ボプタツワナ(1972-1994)と呼ばれる自治区域に属していました。この自治区域は、”バントゥースタン”と呼ばれて、南アフリカのネイティブを専用地域に追いやり、これを”ホームランド”と呼ばせて南アフリカ政府より独立を無理矢理承認させられるという、現代では考えられないような差別政策でした。生まれ故郷を追われ、強制的に移住させられた地を”ホームランド”と呼ばせることで、内外から大きく非難がおこりました。しかもこの地に白人が遊ぶためのレジャー・ランドを占有する当時のサン・シティがあったわけです。サン・シティのコンサート会場で多くの国際的に著名なミュージシャンが高額のギャランティで招かれたり、南アフリカでは避けられた風俗(たとえばストリップなどのショー)やカジノによる賭博なども盛んに行われました。
早くから、南アフリカでのアパルトヘイト政策を批判する運動は相次いでおり、中でも南アフリカの黒人運動家Steve Biko(スティーヴ・ビコ。1946-77)はよく知られています。スティーヴ・ビコによるアパルトヘイトに反対する学生運動やナショナリズム運動に率先して立ち上がりますが、彼は1977年に制圧されて亡くなりました。イギリスのミュージシャン、Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)による1980年リリースのアルバム”Peter Gabriel(邦題:ピーター・ガブリエルIII)”では、最後に収録された”Biko(邦題:ビコ)”は紛れもなくスティーヴ・ビコの事を歌ったものです。
そもそも楽曲”Sun City”は、Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)のバンド、The E Street Band(Eストリート・バンド)のメンバーであるSteven Van Zandt(スティーヴン・ヴァン・ザント。リトル・スティーヴンの名で有名)が、Peter Gabrielの”Biko”を聴き感銘を受けてこれを書き、自身のアルバムに収録する予定だったものです。
80年代半ばは、Band Aid(バンド・エイド)の”Do They Know It’s Christmas?(邦題:ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?)”、USA for Africa(USA・フォー・アフリカ)の”We Are The World(邦題:ウィ・アー・ザ・ワールド)”といったチャリティ・ソングの制作や、大規模なチャリティ・コンサートである”Live Aid(ライブ・エイド)”やFarm Aid(ファーム・エイド)といった、音楽界のチャリティ・イベントが流行していました。入れ替わり立ち替わり、世界的にも著名なアーチストたちが歌い、奏で、パフォーマンスするわけで、リスナーにしても興奮度が高く、どれも好評を得てセールスも大きく伸びました。
Steven Van Zandtは、多くの著名なアーチストにも歌ってもらう方がメディアに伝わりやすいと考え、折しもチャリティが流行している1985年ということもあり、バンドのリーダー、Bruce SpringsteenやThe E Street Bandのサックス・プレイヤー、Clarence Clemons(クラレンス・クレモンス。1942-2011)ら、そしてBand Aid、Live Aidの提唱者であるBob Geldof(ボブ・ゲルドフ。アイルランドのパンク・バンド、The Boomtown Ratsのヴォーカリスト)らに呼びかけを行い、総勢50余組のミュージシャンが集まりました。”Biko”を歌ったPeter Gabrielも参加しました。
結果的に”Sun City”はチャリティ・ソングとして流行に乗った形でのリリースとなりましたが、”Do They Know It’s Christmas?”や”We Are The World”といった馴染みやすい楽曲および歌詞に比べて、やや攻撃的とも受け取れることもあって、アメリカでのエアプレイはやや控えめだったものの、この曲によって南アフリカの当時の状況が理解できた人も多かったと思います。プロモーション・ビデオも制作され、当時の売れっ子ビデオ作家だった元10ccのKevin GodleyとLol Creme(いわゆるGodley&Creme)他で作られ、参加ミュージシャンの次から次へと登場して披露し、最後は全員で合唱するというチャリティ・シングル特有の場面が中心ですが、本作はこれに加えて、南アフリカの当時の現状を生々しく伝える衝撃的な映像も流れ、”Ain’t gonna play sun city(訳詞:サン・シティでは演奏しない)”と強くアピールするのです。
“Ahh~Sun City”のフレーズと大御所Miles Davis(マイルス・デイビス)のトランペットでイントロが始まり、各ミュージシャンのプレイが入れ替わり立ち替わり登場します。Run DMC(ランDMC)、Grandmaster Melle Mel(グランドマスター・メリー・メル)、Duke Bootee(デューク・ブーツィ)、Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)、Kurtis Blow(カーティス・ブロウ)、Big Youth(ビッグ・ユース)らのラップとともにStevenの”We gotta say I ain’t gonna play sun city”と叫び、”I”の部分を全員で合唱します。ビデオの最初の合唱シーンではU2のBono(ボノ)やNona Hendryx(ノナ・ヘンドリックス)らがアップされ、Pete Townshend(ピート・タウンゼント。The Whoのギタリスト)のパフォーマンスとともに本格的な歌い継ぎが始まります。
順を追うと、David Ruffin(デヴィッド・ラフィン)、Pat Benatar(パット・ベネター)、Eddie Kendricks(エディ・ケンドリックス。彼とDavidはThe Temptationsのメンバー)、Bruce Springsteen、George Clinton(ジョージ・クリントン)、Joey Ramone(ジョーイ・ラモーン。Ramonesのヴォーカリスト)、レゲエ界の大御所Jimmy Cliff(ジミー・クリフ)、Daryl Hall(ダリル・ホール)、Darlene Love(ダーレン・ラヴ)、Bonnie Raitt(ボニー・レイット)、サルサ・シンガーのRubén Blades(ルーベン・ブレデス)、Joan Oates(ジョン・オーツ。彼とDaryl HallはHall & Oatesのメンバー)、Lou Reed(ルー・リード。The Velvet Undergroundを率いた)、Bobby Womack(ボビー・ウーマック)、ここで、冒頭のヒップ・ホップ・アーチストたちとStevenによるラップで”Boputhuswana is far away(訳詞:ボプタツワナは遠く離れた国だ)”と叫びます。
そしてJackson Browne(ジャクソン・ブラウン)と当時交際していた女優Daryl Hannah(ダリル・ハンナ)の”I”の合唱の後に、Jacksonと大御所Bob Dylan(ボブ・ディラン) の掛け合いで歌い継ぎが再開、Peter Garrett(ピーター・ギャレット。オーストラリアのバンド、Midnight Oilのメンバー)、Kashif(カシーフ)、Nona Hendryx、Bonoで歌は締めます。その後は”I ain’t gonna play sun city”の大合唱、その中にはPeter Gabrielの参加や、The Beatles(ビートルズ)のドラマー、Ringo Starr(リンゴ・スター)とその子Zak Starkey(ザック・スターキー)と親子共演が見られたり、Peter Wolf(ピーター・ウルフ。1983年までthe J. Geils Bandの看板ヴォーカリストとして活躍)の、あの独特の拳をぐるぐる回すパフォーマンスが見られたり、パーカッショニストRay Barretto(レイ・バレット)のコンガ、ナイジェリアのミュージシャン、Sonny Okosun(サニー・オコスン)のトーキング・ドラム、そしてClarence Clemonsのサックスが見られたり等、ビデオではプロフェッショナルな演奏やパフォーマンスシーンも非常に見応えがあります。
他にもラストの合唱シーンでは、メイン登場ならずとも、多くのビッグネームのあるミュージシャンが登場しておりました。ジャズ界からはジャズ・ベーシストのRon Carter(ロン・カーター)、ジャズ・キーボーディストのHerbie Hancock(ハービー・ハンコック)、そして独特の奏法で有名なジャズ・ギタリストのStanley Jordan(スタンリー・ジョーダン)が参加した他、ビデオではヒップ・ホップ・グループのFat Boys(ファット・ボーイズ)、Michael Monroe(マイケル・モンロー。グラム・ロック・グループ、 Hanoi Rocksのヴォーカリスト)、Stiv Bators(スティーヴ・ベイターズ。パンク・バンド、Dead Boysのヴォーカリスト)の顔も見られました。今を思うと非常に豪華な顔ぶれですが、それまでのBand AidやUSA for Africaなどに比べると、非常に個性派揃いで、音楽もロックやポップスだけにとどまらないワールド・ワイドな結集でした。
アルバム収録曲では、Keith Richards(キース・リチャーズ)とRon Wood(ロン・ウッド) がBono提供曲”Silver and Gold“で参加した他、Miles Davis、Ron Carter、Herbie Hancock、Tony Williams(トニー・ウィリアムズ。ジャズ・ドラマー)、Sonny Okosun、Stanley Jordanらでレコーディングした”The Struggle Continues“なども話題を集めました。
この”Sun City”をチャート分析してみると、1985年11月2日付Billboard HOT100シングルチャートで74位に初登場、その後71位→53位→46位→42位と、3週目を除いては上昇はゆるやかで、アクションとしては他のチャリティー・ソングとは異なりました。6週目の12月7日付で39位とTop40入りを果たしますが、陽の当たった12月14日、38位を最高位に下降していきました(40位→41位→41位→51位→63位→81位)。13週のチャート・インでした。メインストリームロックチャート(当時はAlbum Rock Tracks)では11月23日付で44位に初登場し、翌30日付で41位に上昇、これが最高位となり2週41位を続けてその後は下降(44位→50位)、わずか5週のチャート・インでした。当時は政治的メッセージを攻撃的なラップやロックを流すことは、アメリカの保守層の強いラジオ局などではなかなか受け入れられなかったせいもあり、チャートにおいても影響が見られます。
アルバムでは陽の当たった12月14日付のBillboard200アルバムチャートで2週連続31位を記録、18週チャートインしました。
その後、Frederik Willem de Klerk大統領(フレデリック・デクラーク。任1989-94)は、”人種隔離体制の終結“を宣言、アパルトヘイト抵抗運動により27年間投獄されていたNelson Rolihlahla Mandela(ネルソン・マンデラ。1918-2013)を釈放、マンデラはアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任(議長任1991-97)しました。1993年、マンデラ議長、デクラーク大統領はノーベル平和賞を受賞しました。アパルトヘイトは1994年に撤廃が決まり、ボプタツワナは南アフリカに再び統合、バントゥースタン政策は撤廃されました。そして南アフリカでは初めて全人種が参加する国民議会・州議会選挙が行われて、マンデラは第8代南アフリカ共和国大統領に就任(1994-99)したのです。
サン・シティでは人種の壁は取り外されて、現在でもリゾート地として大いに賑わっています。
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