2月22日は何に陽(ひ)が当たったか?
1983年2月22日は、アメリカのロック・グループ、Styx(スティクス)の11枚目スタジオ・アルバム、”Kilroy Was Here(邦題:ミスター・ロボット~キルロイ・ワズ・ヒア~)”がリリースされた日です。タイトルはアメリカ軍兵士による壁への落書き、”Kilroy Was Here(当時の和訳は「キルロイ参上」)”からとられたものとされています(画像はこちら。Wikipedia Commonsより)。
実はこの2月22日は、Styxが1972年の同月同日にて、最初のレコード・レーベル、Wooden Nickel社と契約に至った日でもありますが、9月16日のブログでこのあたりの話を綴っておりますので、そちらを参考にしていただこうかと思います。本日は”Kilroy Was Here”を取り上げます。
Styxの黄金時代の最終作品がこの”Kilroy Was Here”です。Dennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)、John Panozzo(ジョン・パノッツォ。drums)、Chuck Panozzo(チャック・パノッツォ。Bass)、James [JY] Young(ジェームズ・ヤング。gtr,vo)、Tommy Shaw(トミー・ショウ。gtr,vo)の5人によるスタジオ・アルバム制作はこの作品がラストと言うことになります。
このアルバムは1981年の前作”Paradise Theatre(邦題:パラダイス・シアター)”に続くコンセプト・アルバムです。アルバム・コンセプトの内容はイギリスの映画監督Brian Gibsonの脚本と監督によってショート・フィルム”Kilroy Was Here”が作られ、1983年のライブ・アルバム”Caught in The Act(邦題:スティクス・ライヴ)”およびそのビデオ版(2007年DVD化)では、”Kilroy Was Here”のロック・オペラとして具現化されました。
その中にThe MMM(the Majority for Musical Morality)と呼ばれるアンチ・ロック・ミュージック団体が登場しますが、かつてStyxは前作”Paradise Theatre“収録の”Snow-blind”問題(詳細は1月19日のブログの”Snow-blind”の項をご参照下さい)において、”Snow-blind(邦題:白い悪魔)”を薬物撲滅を掲げるアンチ・ロック・ミュージック団体らに抗議された経緯を、政治がロック・ミュージックを制圧するという話に置き換えて”Kilroy Was Here”を制作したとされております。実質的に、このアルバムからのファースト・シングルに選ばれた”Mr.Roboto(邦題:ミスター・ロボット)”とのカップリングは”Snow-blind”が選ばれました。
では、本コンセプト・アルバム、”Kilroy Was Here”のストーリー内容を見ていきたいと思います。アルバムの内ジャケットには”The Past(過去)”と”The Present(現在)”の見出しでストーリー内容が示されています。
The MMMの創設者であり、代表を務めるDr.Everett Righteous(配役はJY)は、彼自身のケーブルテレビ・ネットワークを使ってアメリカ政界の有力者となっていました。Dr.Righteousはロック・ミュージックを社会悪ととらえ、どんな形であってもロックを許すことは非難の対象となり、この悪影響によってアメリカ経済も減退させると説いていました。ロックがアメリカを潰すという実態をメディアを通じて説いたThe MMMはたちまち人々の支持を集め、ロックンロールを禁じる法律も決まり、Dr.Righteousは人々のカリスマ的存在となっていたのです。
世界的に有名なロック・スター、Robert Orin Charles Kilroy(配役はDennis)もこの法律が決まる頃には自身のロック・バンドによるコンサートツアーを終えようとしていました。”Paradise Theatre(パラダイス・シアター)”劇場での最終日、大入りの観客の前で上演するはずだったKilroyの最終ツアーにて、MMMの委員たちが、可決したばかりのロック禁止法を試験的に施行しようとしてステージに上がり込み、ロック・コンサートを終わらせてしまいました。会場は大混乱におちいり、MMMの委員の一人は群集に殺害されました。Kilroyは委員殺害の疑いをかけられて逮捕され、委員殺害の有罪判決を受け、監獄送りになってしまったのです。
日本製のロボットによって監視された近未来。テクノロジー過剰の機械に依存する社会となっていました。このロボットは日本製だけに、仏像の雰囲気を醸し出すロボットでありますが、そのロボットは日本風に”Mr.Roboto(ミスター・ロボット。英語ではrobot。日本製らしく語尾に「o」をつける)”と呼ばれます。低コストで終身で働くように設計されたロボットで、かつては人間が行っていた肉体労働を担い、近未来の社会を管理していました。
Dr.Righteousは彼自身のモラルを強く主張するため、夜に集会を開催し、支持者にロックにおける”負”のシンボルとも言うべきエレキ・ギターやロック系のレコード集を火に投じさせ、ロックの社会悪をうったえました。一方で彼の主張に反し、ロック復興の地下活動を行っていた中心者、Jonathan Chance(配役はTommy)という人物がいました。JonathanはKilroyをロック復興のシンボルとして捉えておりましたが、当のKilroyは、もう何年も刑務所に入れられており、しかもMMMのケーブルテレビ・ネットワークを通じてマインド・コントロールされるという屈辱を受けておりました。JonathanはKilroyとコンタクトを取ろうとして、MMMの電波を妨害し、違法映像であるKilroyのコンサート(劇中では”Cornerstone〔邦題:コーナーストーン〕”収録の“Borrowed Time〔邦題:虚飾の時〕”が流れる)を流してMMMからのマインド・コントロールを解除させようとしました。
Jonathanの尽力で目が覚めたKilroyは脱出を企てます。Kilroyは、ある夜更けに大胆にも警備Robotoを取り押さえて解放を試み、Robotoに扮して街の至る所にJonathan宛のコード・メッセージ”Rock Code”の落書きを残していきました。そのコード・メッセージを発見したJonathanは解読した通りに動いていくと、かつての”Paradise Theatre”にたどり着きます。そこはDr.Righteousの設立した「ロック病理博物館」という、ロックによって発生した異常や機能障害を歴史的に展示する場所に成り変わっていました。展示物としてElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)やJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)、そしてKilroyのバンド(これがStyx)の機械仕掛けの人形が置かれ、演奏シーンをモーターで動かしていました。その中でKilroy人形はエレキギターで人を殴る動きをしていました。Dr.Righteousはロック病理博物館の展示物を、”最後の”ロック・コンサートと銘打ち、ロックの暴力的な末路として表していましたが、この有様に堪えきれなくなったJonathanはそのギターを奪い人形を壊そうとしました。しかしこれを阻止しようと、一体のRobotoが近づいてきます。JonathanはギターでRobotoを殴ろうと構えますが、Robotoはゆっくりと頭部のマスクを外します。Robotoの中身は正真正銘のKilroyでした。Jonathanに安堵が流れ、Kilroyと初めての対面を果たすのでした(ツアーでは、ここで”Mr.Roboto”が披露されます)。
個人的に所有している”Kilroy Was Here”は1989年2月21日リリースのCD(D20Y4008)ですが、内ジャケットに書かれていたThe PastとThe Presentの大まかな内容は以上の通りです。Robotoのデザイン製作は、1982年の「The Thing(邦題:遊星からの物体X)」や、のち1984年の「 The Terminator(邦題:ターミネーター)」のデザインを担当したSFXクリエイターのStan Winstonが手掛け、これが本作”Kilroy Was Here”の表ジャケットにも使用されました。
レコーディング・スタジオは前作”Paradise Theatre”同様、エンジニアのGary Loizzo(ゲイリー・ロワイツォ)の Pumpkin Studiosで行われ、GaryやRob Kingsland、Ted Jensenらエンジニア/マスタリング陣、またプレイヤーとしてもサックス奏者Steve Eisen(スティーヴ・アイゼン)を中心とするホーン・セクションも前作に引き続いて参加しました。プロデュースは名義としてはStyxですが、これも前作と同じくDennis DeYoungが主導しました。
さて、ようやく曲目リストの紹介です。
A面(アナログ盤)
- “Mr. Roboto(邦題:ミスター・ロボット)”・・・Dennis作
- “Cold War(邦題:冷たい戦争)”・・・Tommy作
- “Don’t Let It End(邦題:愛の火を燃やせ)”・・・Dennis作
- “High Time(邦題:ハイ・タイム)”・・・Dennis作
B面
- “Heavy Metal Poisoning(邦題:ヘヴィ・メタル中毒)”・・・JY作
- “Just Get Through This Night(邦題:ディス・ナイト)”・・・Tommy作
- “Double Life(邦題:ダブル・ライフ)”・・・JY作
- “Haven’t We Been Here Before(邦題:時が過ぎれば)”・・・Tommy作
- “Don’t Let It End~Reprise~(邦題:ロックン・ロールの火を燃やせ)”・・・Dennis作
1983年の音楽は、Culture ClubやDuran Duran等、イギリスで始まった”ニュー・ロマンティック”と呼ばれるムーヴメントに代表されるように、エレクトロ・ポップを前面に押し出したシンセ・サウンドが主流で、硬派のロック・ミュージシャンがシンセを多用するケースも見られるようになり、アメリカにも伝播していきました。
同時に、これらに並行してMTVの活動が活発化した時期でもあり、プロモーション・ビデオの勃興が見られました。サウンド面だけでなくヴィジュアル面でもアーチストが評価されるようになり、イメージ戦略としてのプロモーション・ビデオは欠かせないツールとなって、優れたビデオが多く誕生しました。
“Kilroy Was Here”はこうした背景にリリースされたこともあり、ファースト・シングルの”Mr.Roboto“では上記The Presentまでのストーリーが軸となった大がかりなビデオが製作され、ジャケットのRobotoも数体登場するインパクトの強いビデオとして世に出ました(映像はこちら。Youtubeより)。”演奏”ではなく、”演技”を披露するビデオが世に出たことで、ライブ・バンドとしてこれまでプレイしてきたStyxの、大胆なイメージ・チェンジでありました。
サウンド面でも大きな変革があり、ギター・サウンドは減り、これに変わりシンセサイザーがこれまで以上に多用されたのも大きな特徴ですが、シンセサイザーは過去の作品とはベクトルを変えた使い方で、いわばパワーポップ、あるいはシンセ・ポップを主体とした楽曲群がほとんどを占めます。その代表がA-1の”Mr.Roboto“です。リード・ヴォーカルはDennisが担当、ヴォコーダーを通した日本語が飛び出すこのナンバーが最初にシングル化されたのです。
この曲でStyxを認知した日本人リスナーも多く、場合によっては、Styxはニュー・ロマンティック系のポップなバンドとも思われたり等、少々誤解されることもありました。”The Grand Illusion(邦題:大いなる幻影)”や”Pieces of eight(邦題:古代への追想)”の時代の硬質なロック、さらにはWooden Nickel時代のプログレを愛好するStyxのリスナーにとっては、非常にざわついていたと思われます。日本にとってはオリコンチャートに唯一チャートイン(1983年5月16日付で29位)した楽曲であり、日本での初めてのヒットを記録したことで、Styxの代表曲としてその存在感を見せつけています。
ちなみにBillboard HOT100シングルチャートでの”Mr.Roboto”のチャート・アクションも素晴らしく、1983年2月12日付HOT100で40位で初登場、Top40内でのエントリーを果たしました(“The Best of Times”が1981年1月24日付で31位にエントリーして以来のTop40内エントリーです)。その後34位→24位→20位→13位と順調に上昇、3月19日付で10位とTop10入りを果たします。その後は7位→7位→5位とアップし、4月16日付より2週連続3位を記録しました。その後は後退していきますが(4位→8位→16位….)、HOT100内18週、Top40内16週はお見事です。この結果より、1983年のYear-Endチャートは100位内28位を獲得しています。カナダのRPMシングルチャートでは1位を記録しています。
このナンバーのシングル・エディットはヴォコーダーでの”Domo Arigato Mr.Roboto”から始まります。日本のイントロ当てクイズを扱った番組では、このヴォコーダーでのフレーズがクイズで出たりしたことでも記憶に残っています。
A-2の”Cold War”はTommyがリード・ヴォーカルをとる軽快なロック・ナンバーです。ライブ・ビデオとしてリリースされた”Caught in The Act”ではTommyはこの曲のプレイ中に客席に飛び込んでギター・ソロを聴かせる無謀なアクションを見せてくれます。やはりこの曲でもポップなシンセ・サウンドが基本となっています。
A-3の“Don’t Let It End“はセカンド・シングルとしてリリースされた、Dennisがヴォーカルをとるラブ・ソングです。このナンバーのプロモーション・ビデオは、”Mr.Roboto”とは異なりしっかりと演奏シーンはあります(映像はこちら)。1983年7月2日付HOT100シングルチャートで6位を記録し、16週チャートインしたバラード・ナンバーで(エントリーは4月30日付35位。その後27位→23位→20位→14位→14位→9位→7位→7位→6位→9位→18位→28位….)、1983年のYear-Endチャートでは100位内60位でした。Tommyのリード・ギターも美しいですが、Styxの得意とするコーラス・ワークでも変化があり、本作品はTommyだけがバック・ヴォーカルを担当しています。そのせいか、DennisのリードとTommyのバックが光るサビのパートでは、Tommyのバッキング・ヴォーカルには存在感が強く出ており、ほぼデュエットのような印象を受けます。Top10入りした名バラードですが、なぜかグループとしてはこの曲は疎遠されがちで、例えば2002年リリースのA&M専用ベスト盤”20th Century Masters”では収録されず、2004年リリースの集大成的ベスト盤”Come Sail Away – The Styx Anthology”にいたっては2枚組にもかかわらずやはり収録されず、1999年のDennis離脱によって、ライブ盤収録は疎か、ツアーでもリストに載ることはありません。
A-4の”High Time“はサード・シングルとしてカットされ、1983年9月10日付HOT100で48位を記録、7週間チャートインしたミュージカル風のポップ・ナンバーです。Dennisの歌声が力強く、ホーンセクションも効果的で華やかな印象を受けますが、女性的高音が持ち味だったStyxのバック・コーラスが、イントロダクションでは男気ある低音を聴かせるのには驚きの一言です。実はB-4の”Haven’t We Been Here Before”もサード・シングル候補に挙がっており、プロモーション・ビデオも作られるなどして準備していたのですが、この曲の作者兼リード・ヴォーカルをとるTommyが”Haven’t We Been Here Before”のシングル化に難色を示し、シングル化は見送られ、急遽”High Time”に差し替えられたというエピソードがあります。
B-1の”Heavy Metal Poisoning“はタイトルとは裏腹にポップなナンバーですが、JYが歌うので、サウンドもヘビーに聞こえます。プロモーション・ビデオはショート・フィルム”Kilroy Was Here”から取られ、”Caught in The Act”でも同様のカットが挿入されました。Dennisは登場せず、The MMMサイドでの進行で、Dr.Righteous役のJYと、彼を取り巻く配下のVanish役のChuck Panozzo、Col Hyde役のJohn Panozzoの3人が主役です。間奏で3人はダンスも披露しながら、JYはおどろおどろしく歌い、そこへギター・ソロを弾くJonathan役のTommyが入り込む設定です。JYが奏でるギター・シンセも非常に印象的です。このナンバーはライブ盤”Caught in The Act”からシングルカットされたスタジオ録音の”Music Time(邦題:ミュージック・タイム)”とカップリングで収録されました。なお、イントロの逆再生はラテン語の”Annuit cœptis(アンヌイト・コエプティス。=彼は我々の取組を支持します)”と”Novus ordo seclorum(ノヴス・オルド・セクロールム。=新たな時代の秩序)”という、アメリカ合衆国の国章(国璽)に書かれた標語を発しています。
B-2の”Just Get Through This Night“は個人的にもこのアルバムの中で最も聴いたナンバーで、収録曲中、最もドラマティックな作品です。過去では長尺の曲もたくさん作られたStyxの楽曲でしたが、”Just Get Through This Night”は”The Grand Illusion”収録の”Come Sail Away(邦題:永遠の航海)”以来の6分超えとなりました。静けさの中にTommyの奏でる三味線が流れ、高いキーでTommyが歌い始めた瞬間に、この歌の世界に引きずり込まれます。ロック復興にむけて、クーデターを起こそうとする若者が、静寂の夜を迎え、覚悟を決めてこの長い夜を乗り切ろうとする情景が目に浮かぶ楽曲です。個人的にも暗闇の夜を走る夜汽車の中にいるイメージを抱きながらこの曲を聴いていました。Tommyのドラマティックなギター・ソロやPatrick Moraz(パトリック・モラーツ。スイス出身のキーボード奏者。Yes、Moody Blues等に在籍)を彷彿とさせる、星空を見ているるようなエンディングにおけるシンセサイザーの響きは非常に美しく、聴き惚れてしまいます。
B-3のJYが歌う”Double Life“はDavid Bowieの雰囲気を醸し出すナンバーです。ホーン・セクションも印象的ですが、JYのギター・シンセが美しいのがこの曲一番の魅力です。JYの作品と言えばStyxの楽曲の中でもとりわけハード路線になりますが、この曲でもJYはワイルドな絶唱を聴かせてくれるものの、サビのコーラスがポップで、サウンドもシンセ中心で、”Heavy Metal Poisoning”ほどヘビーではないので、耳に馴染みやすいナンバーだと思います。
B-4の”Haven’t We Been Here Before”は”High Time”の項でも述べた通りシングル化が検討されたナンバーで、ヴォーカルをTommyがメインリードでとり、サビではDennisと掛け合いでツイン・リード・ヴォーカルをとるバラード・ナンバーです。同時にTommyとJYの間奏でのツイン・リード・ギターも大変味わい深いです。プロモーション・ビデオではTommyが時計の振り子につかまるパフォーマンスがあったり、バーで、賭け事をしている客人のDennisとJY(同じく店の客でChuck、店員でJohnもいる)が、査察隊の手入れにしらを切るための作戦を演じる場面があったりと、バラエティに富んだビデオでしたが、別の意味で捉えると、Tommyだけ他の4人のメンバーと行動を別にしているようにも窺えて、その後TommyがStyxのレコーディングに消極的になっていくことを考えると(関連内容はこちら)、一抹の寂しさを感じてしまいます。
B-5″Don’t Let It End~Reprise~“ではTommyがA-1″Mr.Roboto”のメロディに乗せて歌い、サビはコーラスでA-3″Don’t Let It End”を叫びながら、Dennsの力強いロックを聴かせてくれます。この曲でthe MMMに打ち勝ち、夜通しロックし続けていくということで、ようやく最後でStyx本来のロックを聴かせてくれます。短尺の楽曲ですが、個人的にはこの楽曲も気に入っております。
“Kilroy Was Here”はBillboard200アルバムチャートでは34週チャートインし、1983年4月30日付より2週連続3位を記録、Year-Endチャートのアルバム部門(Top POP ALBUMS )では24位にランクされました。Michael Jacksonの”Thriller(邦題:スリラー)”やサントラ盤”Flashdance(邦題:フラッシュダンス)”などの驚異的セールスと1位独占もあって、前作に続く連覇はなりませんでしたが、本作はアメリカ、カナダともにプラチナディスクを獲得しています。
現時点では、Styxは1977年の”The Grand Illusion”から続くアルバムTop10入りはこの”Kilroy Was Here”が最後になっており、全盛期から徐々に後退していきます。この5人でのアルバム制作は次のライブ盤”Caught in The Act”のみとなり、スタジオ・アルバムは本作が最後となりました。その後メンバーはグループ活動を休んでソロ活動を始め、1990年になってTommy ShawはDamn Yankeesとして再出発し、残ったメンバーも同年”Edge of the Century(邦題:エッジ・オブ・ザ・センチュリー)”がようやくリリースされることになりますが、それまでのStyxの残りの80年代はライブ盤とベスト盤のリリースのみにとどまり、鳴りを潜めることになるのでした。
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