11月10日は何に陽(ひ)が当たったか?

1433年11月10日は、ブルゴーニュ公シャルル(1433-77。公位1467-77)の生誕の日です。
ヴァロワ・ブルゴーニュ家出身のシャルルは、1467年、同家が支配するブルゴーニュ公国(ブルグント公国。フランス東部・ドイツ西部。1031-1477)の君主となり、翌1468年ヨーク家のイングランド王妹と結婚しました。シャルルは軍事において非常に野心家で、”打倒フランス”の精神が強く、”シャルル・ザ・ボールド(シャルル突進公テメレール)”と渾名されました。ブルゴーニュ公国はブルゴーニュ地方以外にもネーデルラント(ブルゴーニュ公領ネーデルラント。現オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)を支配していた強国で、ブルゴーニュをおさえて統一策を進めようとするフランス王国ヴァロワ朝(1328-1589)と幾度となく戦闘を交えました(ブルゴーニュ戦争。1474-77)。しかしその戦闘でシャルル突進公は1477年、戦死します。
シャルル突進公は生前、自身が一公国君主である身分から、ローマ皇帝への憧れを捨てきれませんでした。北海と地中海を望む広大なブルゴーニュ公国の建設を実現するためには、ローマ皇帝位に少しでも近づくことが目標でした。当時の聖ローマ帝国(962-1806。当時のドイツ)の皇帝を出すハプスブルク家領はブルゴーニュ公領と比べて、まだまだ小国にすぎませんでしたが、突進公は反フランス親ドイツ(反仏親独)の精神でした。ある日のこと、突進公のもとへ、神聖ローマ皇帝を継承するハプスブルク家の使者が訪れ、突進公の娘で、当時”絶世の美女“,”お姫様“と謳われた公女マリア(マリー・ド・ブルゴーニュ。1457-82)を、ハプスブルク家のマクシミリアン王子(1459-1519。のちのマクシミリアン1世)との婚姻を求めてきたのです。オーストリアの小家と強国ブルゴーニュとの婚姻関係は当時としてはかなり不釣合でしたが、親独の心を持つ突進公は快諾しました。
シャルル突進公は王子マクシミリアンを見て、マクシミリアンの父で神聖ローマ皇帝、フリードリヒ3世(帝位1452-93)の陰鬱さと違い、凛々しい、生気はつらつとした理想的な騎士であり、娘マリアの結婚相手には相応しいと直感したのです。
しかしシャルル突進公は愛おしい王女の結婚を見届けることなく、ブルゴーニュ戦争で戦場となったロレーヌ(フランス北部)のナンシー近郊で戦死してしまいました(1477.1。シャルル突進公陣没)。ブルゴーニュ公領に奪われた領土の奪還を目指すフランス・ヴァロワ朝の王ルイ11世(位1461-83)は揺さぶりをかけて、君主の抜けたブルゴーニュ公国を混乱させ、国内では暴動が起こりました。この時マリアはルイ11世の王子シャルル(1470-98。のちの温厚王シャルル8世。位1483-98)と婚約させられそうになり、一時ブリュッセル(現ベルギーの首都)に幽閉されました。
マリアは父シャルル突進公が許した相手と結婚するときめていたため、フランス王子と結婚することをかたくなに拒否しました。マリアは神聖ローマ帝国のマクシミリアン王子に救援を求め、幽閉から解かれました。そして、フランドルの都市ガン(ヘント。フランドル地方の都市。現ベルギー)の王宮で王子が来るのを待ちました。銀色の甲冑姿で白馬に乗って颯爽と参上したマクシミリアン王子が、美しき公女を助けに来たのです。1477年8月19日、ハプスブルク家マクシミリアンと、ブルゴーニュ家マリアとの”華燭の典(かいしょくのてん。結婚式)”がガンの聖バボ教会で挙行されました。
その後、ブルゴーニュ公領はフランス王領へ、ネーデルラント諸州とフランス東部のブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ)はハプスブルク家領に分割されました。

結婚したマクシミリアン王子とシャルルの娘マリア姫はともにブルゴーニュ公として共同統治を行いました(公位1477-82。ただし前述の通り、ブルゴーニュ公国の遺領はフランスと分割したため、公位は名目上)。スイス北東部、ライン川上流のバーゼル近郊に発祥し、小国オーストリアを拠点にかまえてきた弱小貴族だったハプスブルク家が、オーストリアを離れて西欧の他国と深くかかわることになり、結婚を通じて領土を拡張する第一歩を踏み出し、歴史の表舞台でその名を轟かせていくのです。そのきっかけを作ったのは、ブルゴーニュ公であったシャルル突進公による反仏反独の精神、そして大事な王女の相手をハプスブルク家のマクシミリアンに選んだこと、シャルルの王女マリアがハプスブルク家に嫁ぐ決意をしたことに他なりません。
引用文献『世界史の目 第219話

ブルゴーニュ国家の形成と変容 ― 権力・制度・文化

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